不妊治療は私の想像をはるかに超えた。夫にひどい言葉を投げつけたことも【エッセイスト・潮井エムコ】
言葉にできない喜びと、不安が同居していた
――妊娠がわかったときの気持ちを教えてください。 エムコ 不妊治療中は思い出すのもつらいくらい本当にいろんなことがあったので、言葉にできない喜びを感じました。ただ、治療中に妊娠経過をいろいろと調べていたので、これからまだまだ超えなきゃいけない壁がいっぱいあるぞ、と気が抜けませんでした。毎日、おなかに赤ちゃんがいることのうれしさを感じるんですけど、万が一のことがあったら絶対につらいから、「何が起こるかわからない」と自分に言い聞かせながら。「出産まで無事に育ってくれますように」といろんな国の神様に手当たりしだいにお祈りしていました。 ――つわり症状でつらかったものはありますか? エムコ 私はもともと吐くことにすごく抵抗があったので、まず吐きけがあることがとても苦しかったです。食べづわり、吐きづわり、においづわり、全部体験しましたが、吐きづわりにいちばん悩まされました。室内を歩いているときにも突然吐きけが来るので、立ちつくしたまま夫に「吐く――!!」と叫び、夫が急いでバケツを持ってきて、そこに泣きながら吐くような日々でした。 ――夫さんはどんなサポートをしてくれましたか? エムコ 食べられるものがその日その瞬間によって変わるので、私が「今おにぎりなら食べられそう」と言うと、夫がおにぎりを作ってくれました。「梅干しのおにぎりがいい」「たくあんもいる」とか、「今日は卵焼きなら食べられるけど目玉焼きはダメ」とか…夫はそんなこまかい注文も聞いてくれました。食事だけでなく、つわり中の私のとしゃ物の処理のほかにも、家事もやっていたので本当にありがたかったです。
どうしても「さかご」が治らず、帝王切開に
――つわりのあとの妊娠経過は順調だったそうですが、どんな出産方法になりましたか? エムコ 妊娠8カ月のころにさかごだとわかって、漢方を飲んだり、さかご体操をしたりと頑張ったものの赤ちゃんの向きはなおらず、妊娠37週の1月下旬に帝王切開で出産することになりました。もしさかごのまま陣痛がきてしまった場合、赤ちゃんの足が産道から出てしまうと大変なので、正期産になる37週以降で、陣痛が起きる可能性が少ない早いタイミングでの出産にしよう、ということでした。 産院は新型コロナウイルスの警戒体制が続いていて、入院中は夫も家族も面会不可でした。しかたのないことだけれど、やっぱり少し不安で寂しかったです。 ――赤ちゃんが生まれた瞬間のことを教えて下さい。 エムコ 帝王切開は下半身麻酔だったので意識がはっきりしていて、痛みはないけれどおなかが押されるような感じはありました。手術開始から10分ほど過ぎたころ、医師から「生まれますよ~」と声をかけられた次の瞬間、赤ちゃんの大きな産声(うぶごえ)が聞こえました。それに続いて医師から「うわー、あぶらで真っ白やね~!おめでとうございます!」と言われました。 「おめでとう」より先に「あぶらで真っ白」が気になってしまって。心のなかで「先生の第一声、逆じゃない?」とツッコんでいました。赤ちゃんは、胎内で体温調整のために体が胎脂(たいし)で包まれていて、胎脂があるから産道が通りやすくなるらしいんですが、わが子は胎脂がすごく多かったらしいです。看護師さんが赤ちゃんの体をふいてくれて、私に抱っこさせてくれたときには、あぶらはあらかた落とされていましたけど、髪の毛はまだテカテカの状態でした。 ――初めて赤ちゃんを抱っこして、どう感じましたか? エムコ なんと言葉にしたらいいのか…「この子がおなかに入っていたんだ、この子が私の子どもなんだ」という、感じたことのない感動だったと思います。妊娠中ずっと「何が起こるかわからない」と緊張していた気持ちがとけたように、涙がぼろぼろこぼれて止まりませんでした。 妊娠も出産も本当に奇跡だな、と。医師や看護師たちや医療機器や薬の力を借りて、こうして私も子どもも無事に生きているということを痛感しました。