このアルファ・ロメオを世界遺産に認定したい! ジュリアとステルヴィオ、2台の“クアドリフォリオ”に試乗 これが新車で買える最後のチャンスかも
イタリア車に乗ると胸が熱くなる!
いまから23年前、創刊されたばかりのエンジン編集部に異動してきた編集部員シオザワは、マニュアル車の運転練習のために人生初めてのアルファ・ロメオを買った。以来、ずっとイタリア車に乗り続けるシオザワ。イタリア車のとは何なのか。夜の東京で、ジュリアとステルヴィオの2台のクアドリフォリオに乗って考えた。 【写真30枚】新車で買えるのはそろそろ最後のチャンスかも ジュリアとステルヴィオのクアドリフォリオの詳細画像はこちら ◆魅力的なアルファ・ロメオ ジュリアとステルヴィオの2台に同時に乗るなんて、いつ以来だろう。ジュリアが日本に上陸したのは2017年。ステルヴィオはその1年後。テストしたのはきっとその頃だから、もう6、7年が経つわけだ。最近はとんとご無沙汰だった。久しぶりに対面してみると、なんだか懐かしい。3眼式のヘッドライトこそ最新のアルファ・ロメオよろしくアップデートされているが、それ以外の見た目は以前のままのように思える。 いまクルマを取り巻く世界はもの凄いスピードで変化していて、次々と最新技術や新しいデザインが登場しているけれど、ジュリアとステルヴィオの前に立つと、まるで過去にタイムスリップしたような気分になる。ジュリアなどは登場したときすでに走りもデザインもオールドスクール的なところがあったから、ちょっと冗談めかして言えば、もはやこの懐かしさはヤングタイマーに近い(笑)。 それが嫌かというと、僕はまったくの逆で、カッコいいとさえ思う。ジュリアの低く構えたペタペタの車高なんか、レース屋が手を入れたチューニング・カーみたいでちょっとゾクゾクする。クアドリフォリオを仕立てたアルファ・ロメオのエンジニア連中は、こんなの好きでしょ、と間違いなく確信犯でやっている。60年代にヨーロッパのレース界を席巻したジュリアGTAにアルファ好きがいまも憧れ続けているのを知っているのだ。いや、実はつくっている本人たちが憧れているのだと思う。それが溢れんばかりに滲み出ているのが、ジュリア・クアドリフォリオの最大の魅力だと改めて思った。 ◆記憶のなかのジュリア 今回の試乗の舞台は夜の東京だ。久しぶりに乗るジュリアに実はちょっとワクワクしていた。キーを手にしてまず頭に浮かんだのは、がっかりしたら嫌だなということだった。いまでも魅力的に感じるか、それともただ古臭いと感じるか。結論から言うと、感動した。ジュリア・クアドリフォリオは素晴らしいドライバーズ・カーだった。 記憶の扉を開けて、奥の方から引っ張り出したかつて箱根のワインディングを走ったときの印象は、もの凄く速いが、510馬力のFRを御すのは大変だということだった。あるスピード域までは何事も起こらない。でも、本当の能力はもっと上にあり、それを引き出そうとするとヒリヒリするような緊張感があった。 速さを優先して開発されたために街中の低速でギクシャクしたり、乗り心地もいまひとつだった。しかしその一方で、操る喜びを感じさせてくれたところは素晴らしかった。クルマに乗せられているのではなく、自分が運転しているという感覚。それがなによりも素敵で、ネガティブなことをあっさりと打ち消した。当時はそう思えたが、いまならどうだろう? 打倒M3&C 63 AMGの旗を掲げて登場したジュリア・クアドリフォリオの魅力は、電子制御に頼り過ぎないアナログ的な走りにあった。しかし、ライバルも黙ってはいない。電子制御に磨きに磨きをかけたいまは、ドライバーの技量に応じてドリフト量までコントロールするような、走る喜びを犠牲にしないスポーツ・モデルが生まれている。登場したときのまま進化を止めたように思えたジュリアに、今更出る幕はないのではないか。今回試乗する前はそう思っていた。ところが、それは間違いだった。着実に進化していたのだ。怖いほどキレッキレだったステアリングは、過剰さがなくなって絶品の切れ味となり、低速でギクシャクした8段ATとV6ターボの制御も見違えるようにスムーズになっている。 さらに、乗り心地が良くなっていることは走り出した途端にわかった。510馬力もあるので硬いのは当たり前だが、驚いたことにアルピナのようなビロードテイストまである。硬いけれど滑らかで、ザラつくような感触はない。思わず「いいねぇ」と声が出たほどだ。 アルファ・ブランド復活の旗振り役だったセルジオ・マルキオンネが急死して、アルファの歩みは止まったも同然と思っていたが、社内のエンジニアたちは地道に熟成を進めていたのだろう。たぶん現行モデルが最後となるジュリア・クアドリフォリオだが、いまが一番いいデキなのかもしれない。 ◆ニュル最速の称号 そんなジュリアからステルヴィオのクアドリフォリオに乗り換えると、思わず笑ってしまう。あれほどジュリアが洗練されていたのに、ステルヴィオのなんと野蛮なことか。ガチガチに固められたアシは街中であろうが高速道路であろうが不整路面ではここぞとばかりに振動や突き上げを正直に伝えてくる。 ステルヴィオのクアドリフォリオにはニュルブルクリンクで最速SUVの称号を勝ち取るという使命があった。動力性能はジュリアとまったく同じだが、車重はステルヴィオの方が200kg以上も重く、SUVなので当然重心も高い。それをジュリアと同じように走らせるためにフェンダーをめいっぱい引っ張り出して、トレッドも広げ、アシもきっちり締め上げた。SUVというよりまるでレーシングカーのようだ。 ちなみに0-100km/h加速は、ジュリア・クアドリフォリオの3.9秒より4駆のステルヴィオ・クアドリフォリオの方がコンマ1秒速い。路面を鷲掴みにするようにして問答無用に猛然と加速する様は、蛇というよりは恐竜だと思う。 そんなハードなステルヴィオ・クアドリフォリオの一番の魅力は何かと言えば、フェラーリのV8から2気筒を切り落とした同じ90度のバンク角を持つ2.9リッターのV6ツインターボだろう。これは同じエンジンを積むジュリアのクアドリフォリオにも言える。高性能なエンジンはほかにもあるが、生き物のような熱い脈動とゾクゾクする官能的な音色は、さすがフェラーリのDNAを持つエンジンだ。こういうクルマに乗ると、「イタリア車はやっぱりエンジンだ」とつくづく思う。そう考えるようになったのは、23年前にアルファ・ロメオを買ったことがきっかけだった。 ◆真夜中の峠道 エンジンが創刊された次の年、2001年の1月に編集部員となった僕は、免許を取って以来、運転したことのなかったマニュアル車の運転練習のためにアルファ・ロメオの156を買った。広報車落ち、5段マニュアルのツインスパークだ。練習は仕事が終わった後の深夜。自宅で156に乗り換え、中央高速を下って近隣の山道に向かうのが日課だった。明け方まで走って少し寝てまた仕事というハードなことができたのは、それがアルファ・ロメオだったからだ。 ボルボのワゴンから乗り換えた156は、底抜けに楽しかった。ほんの少しの微舵に反応するキレのいいステアリング。甲高く歌うエグゾーストノート。そしてなによりも、7000回転までブンブン回る痛快な4気筒のツインスパークが最高だった。同じ道を何度走ってもワクワクして、夜明けまでの時間はあっという間だった。 それからだ。クルマの好みが一気に変わったのは。その後はマセラティ・クアトロポルテ、フィアット・ムルティプラ、それに初代フィアット・パンダをプラスしてフィアット2台持ちとなり、イタリア車ばかりを乗り継ぐことになる。 どれも毛色の違うクルマばかりだが、共通するのはみな「エンジンが楽しい」ということ。面白いのは、ムルティプラのようなファミリー・カーやパンダのような庶民の足グルマのエンジンでさえ、ドライバーを鼓舞する刺激があることだ。パンダの4気筒はたったの52馬力しかないが、ツキのいいアクセルと全段ローギアードの5段MTのおかげもあって、小さなハッチバックを生き物のように感じさせてくれる。たった1000ccの4気筒エンジンが、なぜこんなに元気で、楽しく、面白いのか。実はこれはエンジンに限ったことではない。つまらないクルマには乗らないし、つくらない。イタリア人が大事にするのはきっとそこなのだと思う。僕は夜の峠道をアルファ・ロメオで走り続けたことで、そんな胸がキュッとなる、愛のようなものを感じるクルマが好きになり、いまに至っている。 今回の撮影場所を東京のアーバン・ロードにしたのは、2台のクアドリフォリオを23年前の156とちょっと比べてみたくなったからだ。で、どうだったのか? 胸は熱くなったのか? 答えはイエス。FFとFRの違いはあっても、根っこのところにあるものは同じだと思った。きっとこれが最後になる純内燃エンジンの2.9リッターV6ツインターボが叫ぶと、胸がキュッとなり、僕は夜の峠道を鮮明に思い出したのだから。 文=塩澤則浩(ENGINE編集部) 写真=望月浩彦 (ENGINE2024年8月号)
ENGINE編集部