なぜ日本人は「社会」という概念がよくわからないのだろうか
宇野重規・畑中章宏・若林恵の3氏による『『忘れられた日本人』をひらく』発売記念トーク(2月20日、ジュンク堂書店池袋本店)。今回はいよいよ、宮本常一著『忘れられた日本人』の本質に三者三様の関心と切り口から迫っていく。 【写真】女性の「エロ話」は何を意味しているか? 日本人が知らない真実
「霊魂」から「民具」へ
畑中 柳田国男の民俗学と宮本常一の民俗学は、究極的な目標、目的は変わらないんです。それは「経世済民」で、貧しい人が豊かになり、みんなが潤うことが初発の目的でした。しかも柳田は民俗学を始める前から、東京大学で農政学を学び、農商務省に入って、中農政策や産業組合を構想していたんです。 ところが、柳田自身の資質的なこともあり、民衆の暮らしがよくなるには民衆がどんなことを考えてきたのか、要するに心の深層に迫るべきだと考える。こうした問題設定は決して間違っていないんですが、生活そのものより、霊魂や信仰を掘り下げることを優先してしまった。しかも柳田の後、「古代」を措定して魂の問題に迫ろうとする折口信夫が民俗学に参入する。こんな経緯もあり、民俗学は「心の生活」を追求する方向に選んでしまったんですね。 若林 宮本常一の民俗学の独自性は、「物」に向かっていて、ある対象がどんな素材でできていて、どういう地域との交流の中で調達されたっていう、ある意味、地理学的な観点を持っていたという印象を受けました。つまり、言い方が合っているかどうかわかりませんが、「プラグマティック」な感じがするんです。それは宮本常一という人の特性なのか、また別のコンテクストがあるのか、というふうなことを考えたんですがいかがですか。 畑中 宮本常一は1955年頃に、「民俗誌ではない生活誌が必要だ」と書いているんですが、宮本が戦前から属していた渋沢敬三のアチック・ミューゼアムは、日本の普通の人々の生活は、物や生業からではないと見られないんじゃないかという考え方でした。つまり、渋沢敬三が、心や魂からではなく、民具や衣食住にまつわるものから、民俗学を構築していこうとした、その代表が宮本常一ということになります。