なぜ日本人は「社会」という概念がよくわからないのだろうか
「世間」は閉じているのか
宇野 今回、「世間」という言葉を意識して『忘れられた日本人』を読んでいると、「女の世間」という章で、「昔にゃ世間を知らん娘は嫁にもらい手がのうての」と述べられています。伝統社会の女性は、結婚する前は家に閉じこもっているイメージがあったんですが、娘は世間を知っている方がいいんだという。しかも、父親が知らないあいだに、母親と示し合わせて、島を先に出た仲間を頼って行く。娘たちはそうした場で、島のものが持っていない知識を持っていることを誇りとしたというんですね。 『忘れられた日本人』にはさらに、「世間師」というほかのいろいろな共同体のことを知っている存在が出てくる。僕たち日本人は「世間」というのを悪い意味で使いがちなんだけど、世間師は狭い世界に閉じ込められず、知らないところに出ていって、いろんな知識を身につけて村に帰ってくるんですね。それは人間にとっての成熟だし、その人間の魅力にもなるし、地域で見れば、外への情報の回路が開かれてくる。だから、世間という言葉はむしろ、閉じられた共同体を外に開く力を持っていることになる。 畑中 僕らが「世間」を閉ざされたものだと捉え出したのは、出版史的にみると、実は1990年代半ばぐらいだと思うんです。ヨーロッパ中世史が専門の阿部謹也さんが、日本の「世間」を「社会」と対比して批判的に論じてからではないかと。 宇野 『「世間」とは何か』(講談社現代新書)ですね。 畑中 丸山眞男における封建遺制じゃないですが、日本人を束縛し、行動の自由さを制約するようなものとして世間があって、世間の目を気にする習慣が日本人にあると阿部さんが指摘した。それが、「おお、阿部さんいいこと言うな」、「そういうのが世間だよな」というふうにして広まって、今に至っているところがある。そういうのを踏まえて、あらためて『忘れられた日本人』を読むと、日本人の「世間」って阿部謹也の言う「世間」と全然違うことになる。 宇野 ヨーロッパの中世には開かれた市民自治の伝統があったという指摘ですね。それに比べると日本には自立した個人がいなかったために、しょせん市民社会は育たず、「世間」という閉じられたものしかなかったという。こうした紋切型の「世間」観を披歴する人は今でも非常に多いんですが、これも阿部さんの影響なのかもしれない。けれども、『忘れられた日本人』を読むと、「世間」という言葉のそうした使い方はわりと最近のことで、「世間」はむしろ閉じられたものを開いて動的なものだったことがわかります。