「偉人」の過去の不正義にどう向き合ったか〈下〉 地域・民衆ジャーナリズム賞 冠を外しただけでは再出発できない
平和や人権尊重を求める運動や組織が「偉人」と仰いできた人の過去の不正義を突き付けられたとき、どのような対応をしたのか。差別発言を告発された「むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞」は、むのという冠を外して新たな出発をめざしたが、いまだ目途はたっていない。経緯を検証するとともに、その過程で置き去りにされた被害者の訴えを伝えたい。 ■むのたけじの発言 ※差別的表現や事実誤認もそのまま引用 事実を事実のものとして、ナマの姿で伝えるにはどうするのか。そのことで権力との関係を作らなきゃならぬと同時に大衆とも作っていかなきゃいかぬじゃないか。一週間前に八王子に行った時、朝日新聞をやめたといきまいている女の人がいました。なんだと思ったら、八王子の近在のなかで、重い障害の、下半身がほとんど動かない女の人が、子供を産んだわけです。相手の男性も障害者です。それを何か美しいことのような、そして、女の人を持ち上げて、病院が彼女のいい分を聞かないということを書いているわけですが、『こんなもの読むものか‼』と怒ったのは、その病院の看護婦長でしてネ。いかにこの患者が、身の程知らずのわがままをいうのか。こんな体で妊娠したときにどんなことが起こるか、ということを医者にも相談しない。親、きょうだいにもしゃべってない。要するに、性生活をすれば生まれるんだ。生まれたとたんにオレは重度身障者だ。一軒の家をよこせ、車買え、とかネ。あてもないことを言う。心身に痛手を持つ人達を十分いたわらなきゃならぬ。そりゃあ原則はわかる。けれど、原則論で『私は大変な痛手を受けた人間です』ということを武器にしてわがままを言うことに目をつぶって、一種の美談めいたものにすり替える朝日はウソつきだ。平気でウソをつける。こういう言い方で、どんなウソをほかでついてるかわからない。あと読まぬと言うて、社会教育の集会に出てきて、新聞の問題出た時にしゃべっておったんですが……。 (松井やより「むのたけじ氏に言論の責任を問う―障害者差別発言をめぐって―」から抜粋) むのたけじは、戦争中に国民に真実を伝えなかった責任を感じて敗戦を機に朝日新聞社を退社、郷里の秋田県で週刊新聞『たいまつ』を30年にわたり発行した。2016年に101歳で死去するまで、反戦・平和を訴えて全国でおこなった講演は3000回を超える。18年、その精神を受け継ぎたいと「むのたけじ地域・民衆ジャーナリズム賞」が創設された。むのが晩年を過ごしたさいたま市で「埼玉・市民ジャーナリズム講座」を運営する武内暁さんが、むのの息子の武野大策さんに持ちかけて実現した。