主は物部氏の実力派側近か 奈良・天理の古墳で石室発見
古代の豪族物部氏を支えた有力者の墓と推定される横穴式石室が出土した奈良県天理市の豊田(とよだ)狐塚古墳で9日、同市教育委員会が現地説明会を開き、多くの考古学ファンらが詰めかけた。被葬者は中堅リーダーとみられ、参加者は被葬者の人物像などに想像を巡らせて楽しんでいた。
円墳の横穴式石室に3人を埋葬
JR、近鉄天理駅から徒歩30分。ぽかぽか陽気の中、里山のやや急な坂道を登ると、豊田狐塚古墳だ。直径20メートルの円墳で、石室が小高い丘の山頂付近を掘り下げた箇所から出土したため、安全面を考慮して、参加者が増えると10人ずつ交代で見学した。 玄室は南北に長い長方形で、長さ4.4メートル、幅2.2メートル。盗掘に遭ったためか木棺は見つからなかったが、玄室内の痕跡などから、玄室奥で東西方向にひとり、手前で南北方向にふたりが並ぶかたちで、3人が埋葬されていたとみられる。 円墳は6世紀中期に築造。玄室奥の人物が先に埋葬された後、手前のふたりが6世紀後期に追葬されたと推定される。
トップリーダーではないが有能な実力者か
豊田狐塚古墳の位置や規模にも、注目が集まる。ご当地は石上(いそのかみ)・豊田古墳群の南西端付近。同古墳群には首長層を埋葬した大型前方後円墳をはじめ、150基から200基の円墳が高密度に点在している。豊田狐塚古墳は石上・豊田古墳群の円墳の中では有数の規模だ。 高台にある豊田狐塚古墳は、南を向くと物部氏ゆかりの石上神宮や物部氏の拠点だった布留(ふる)遺跡を見渡せる絶好の場所に位置している。この古墳の主は、前方後円墳に埋葬される物部氏直系のトップリーダーではないものの、物部一族を見守る聖域にふさわしい実力派幹部だったと想像できる。 市教委調査担当者は「首長層に次ぐ人物、市の幹部にたとえると、市長ではないものの、市長を支える部長クラスの人物が埋葬されていたのではないか」と推測している。 幸運なことに石室から多くの副葬品が見つかった。鏡、馬具、多彩な玉類などで、これから詳細な研究が進む。調査担当者は「周囲の古墳群が形成されていく過程をひもとくうえで貴重な資料となりそうだ。石室に埋葬された3人の関係を探る手掛かりが見つかればいいのですが」と期待を寄せる。