1999年の4ポイントプレーは語り草、3月14日はラリー・ジョンソンの誕生日【バスケ】
1999年ペイサーズ戦で生まれた劇的4ポイントプレー
当時のニックスは、センターにドリームチーム選手のパトリック・ユーイングがいて、ウイングにラトレル・スプリーウェル、アラン・ヒューストンというスターがそろうチームだった。すでに背中に問題を抱えていたジョンソンは、ホーネッツ時代ほどのスタッツは残せなくなっていたものの、オールラウンドな選手になっていたことでスターターとして出場することになる。ニックスでのハイライトは、最終的にNBAファイナルに進出することになる1998-99シーズンのペイサーズとのカンファレンス・ファイナル第3戦での4ポイントプレーだ。 1勝1敗で迎えた試合は、開始から4Q終盤まで1点差を争うような激戦となっていた。4Q残り11秒、スプリーウェルからファウルをもらったマーク・ジャクソン(ペイサーズ)がフリースロー2本を決めて91-88に。タイムアウト明け、ニックスはヒューストンにパスを入れようとしたが、レジー・ミラー(ペイサーズ)がうまく防ぐ。ここでチャーリー・ウォード(ニックス)はインサイドに入れようとパス。ジェイレン・ローズ(ペイサーズ)の手に当たったが、左ウイングにいたジョンソンがうまくキャッチすると、アントニオ・デイビス(ペイサーズPF)との1対1の形になる。残り7秒で仕掛けたジョンソンはデイビスのファウルをもらいながらシュート。その3ポイントは高い弧を描き、見事リングに吸い込まれた。これで同点にすると、見事アンド1も決めて劇的4ポイントプレーが完成。92-91で勝利した。この時も、ジョンソンはLの字を作るセレブレーションを見せている。 ジョンソンのキャリアを語る上で欠かせないのが、ヒートとの激闘だ。1997年のカンファレンス・セミファイナルでも乱闘に巻き込まれたが、1998年のプレーオフ1回戦第4戦ではジョンソンと元チームメイトのモーニング(ヒート)が衝突。ニックスのジェフ・バン・ガンディーHCは止めようとモーニングの足を掴んだものの、引きずられるというシーンもあった。 背中の問題は最後まで彼のキャリアを苦しめ、2001年に現役を引退。しかし、10年間のキャリアの中で数々のドラマを生み出し、多くのファンに愛された名選手であることは間違いない。