「団塊的・昭和的・高度成長期的」思考からの転換期 「人生の分散型」社会に向かうビジョンと方向性
■「農村型」と「都市型」のコミュニティ対比 納得感のある記述だが、私自身はこうした話題を、「農村型コミュニティ」と「都市型コミュニティ」の対比として論じてきた(拙著『コミュニティを問いなおす』)。すなわち「農村型コミュニティ」とは、“同質的な者からなる均質なコミュニティ”であり、そこでは「空気」や「忖度」といった非言語的なコミュニケーションが重要で、いわゆる同調圧力が強く、またメンバーは概して固定的で外部に対して閉鎖的な傾向が強い。
これに対して「都市型コミュニティ」とは、“独立した個人が集団を超えてゆるくつながるコミュニティ”で、個人間の多様性が大きく、言語的なコミュニケーションの重要性が高いという特徴をもち、集団の流動性ないし開放性が相対的に大きい。 読者の方はお気づきのとおり、先ほど団塊世代に特に目立つ特徴として挙げた「ウチ―ソト」の強い区別という点は、他でもなく以上のうちの「農村型コミュニティ」的な関係性や行動パターンに呼応している。
これはある意味で当然の帰結であり、なぜなら団塊世代が生きた時代とは、端的に言えば日本において農山村から都市への“人口大移動”が急速に進んだ時期でもあったからである。そして都市に移った日本人は、もともと持っていた「農村型コミュニティ」的な行動パターンをそのまま都市に持ち込み、それを「カイシャ」(および核家族)という集団の中で維持したのである。 「カイシャ」と核家族という“ムラ社会”が互いに競争しつつ、急速な経済成長を成し遂げたというのが「昭和」あるいは「高度成長期」の本質だった。そうした行動様式が、工業化社会そして「追いつけ・追い越せ」型の発展にとってはうまく機能したのである。
本稿の冒頭でも言及したように、私はこうしたことを、昭和という時代は“集団で一本の道を登る”ような時代だったという言葉で表現してきた(『人口減少社会のデザイン』等)。そのような昭和的・団塊的モデルを、物質的な豊かさが成熟し、人々の価値意識も大きく変化していった平成そして令和の時代にも維持しようとしたことが、“失われた○○年”を招いた最大の原因なのだ。 ■若い世代の行動パターンの変化 ちなみに「ウチーソト」の強い区別という点について補足すれば、もともとそれは上記の「農村型コミュニティ」に特徴的なことであり、このこと自体は日本社会の2000年に及ぶ“稲作の遺伝子”(比ゆ的な意味での)の歴史の中で培われた傾向性だった。