「クルマは一流、運転マナーは三流」 そんな日本にとって、生活道路“時速上限30km”は福音となるのか?
日本の交通事故対策に欠けているもの
生活道路での30km規制の施行当初は、警察により啓発活動や重点的な取り締まりが行われるだろうが、効果をどのように持続させるかが重要である。ここで指摘したいのは、日本の交通事故対策では 「「公衆衛生」の観点が希薄」 という点である。交通事故と公衆衛生に関係があるのかと疑問に思うかもしれないが世界保健機関(WHO)は交通事故を公衆衛生の課題として扱っている。 本来の公衆衛生とは、人間の集団の健康にかかわる環境や社会の要因を解明し、対策を提案する科学分野である。交通事故による死傷はまさに人間の健康への脅威であり、公衆衛生の問題である。 また図は同じ観点で、米国の国立労働安全衛生研究所による安全対策のレベル分けである。個人レベルの安全対策は効果が小さく、より本質的な危険源の除去こそが効果が大きいことを示している。 交通事故対策としてしばしば“厳罰化”が主張されるが、効果が乏しいことは多くの調査で確認されている。日本では ・2001年:「危険運転致死傷罪」新設 ・2007年:「自動車運転過失致死傷罪」新設 ・2014年:「自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律(新法)」 など厳罰化が試みられたのに、2000年代以降にひき逃げが増加するなど“逆行現象”が発生した。重大な人身事故が起きると加害者への厳罰を望む声が上がるが、そういう本人は「自分は良識的なドライバーだから加害者にはならない」と思っているのだろうか。それこそが 「厳罰化の効果が乏しい理由」 である。教習所や免許更新講習で「自分だけは事故を起こさない」という思い込みこそ危険だと教わらなかったのか。実はこれは飲酒運転が後を絶たない理由と全く同じで「自分は飲んでも正常に運転できる」と思うから運転するのである。 交通事故対策を個人レベルの精神論に依存しても効果は乏しい。日本では 「交通事故は環境や社会の問題」 という概念が希薄であるが、今回の生活道路の30km規制はその意識転換に向けた小さな一歩である。より本質的な危険源・脅威度の除去に向けた議論が展開することを期待したい。
上岡直見(交通専門家)