「機構を作れば平和になる訳ではない」創設時の NATO創設時から今につながる“危惧“ の意味と今必要な理由、先人の至言を振り返る
2024年7月12日付 ワシントン・ポスト紙は、「創設時の 北大西洋条約機構(NATO) の意味とそれが今必要な理由」と題する社説を掲げ、NATO 創設当時の同紙(1949年4月5日付)社説を再掲している。 大西洋諸国の政治家が北大西洋条約に署名する際に示した「献身」は印象的だ。トルーマン大統領は基調演説で「この約束は平和に前向きな影響を与える」と述べた。 12かカ国の代表の顔には肯定的信念が示されていた。彼らは多様で異なっていたが、大統領の感情を違った方法で繰り返し表明した。彼らは自国民の生命への懸念を持っている。 これらの指導者がべビン英外相の言う「平和の貯水池」に結集したのは、国民の勤労と幸福追求を妨げている戦争の影を除くためだ。しかし署名だけで平和は達成されない。人生の何物も努力無しには得られない。そして平和は毎日の努力で達成する必要があるものだ。これは戦後の安心と喜びで忘れられてきた。そして悪魔は休息と怠惰に付け込む。 もう一つの危険は、若い世代が、何らかの機構を作れば平和は自動的に達成されると考えがちなことだ。例えば、今日の米国の若者達には、国連の失敗という幻想が存在しているが、これは間違っている。 国際連合は国際連盟と同様に、失敗した訳では無く各国がこれを作るに際して語ったことを実現できていないだけだ。多くの国々が努力を再開し他国から押し付けられ無行動から自らを解き放ち自身の義務を再確認する用意があるのは喜ばしい。 新たな誓約の言葉は明瞭な約束だ。これらは厳しい経験で研ぎ澄まされたものだ。神学者のケンピス曰いわく、全ての人は平和を望むが、平和の代償を払う用意がある人は少ない。
昨日の式典から判断するに、署名者だけでなくその背後に居る数百万の声無き声と大衆にとり、これは「希望の式典」で、国連の考え方が人々の心と政治家の計算に脈々と生きていることを示している。少なくとも、ルクセンブルグのベック外相が節度を持って述べたように「これは世界に永続する平和という有益な時期を提供するかもしれない」。 時間稼ぎはできた。しかしその間にこの誓約に基づき努力を積み重ねなければ意味が無い。集団による抵抗は、隣人との共存と両立すべきだ。イタリアのスフォルツァ外相が述べたように、この約束は継続的創造であるべきだ。 信念と誓約に作業を加えることで進歩が齎もたらされる。この点で条約署名前夜に、白と蘭に続き仏と伊が関税同盟への一歩を進めたことは留意されるべきだ。これは、各国を共同事業に向けて協働させるための行進の一里塚だ。 北米はこの統一の進展に利害関係を持っており、それに貢献すべきだ。マーシャルプランにより、共同事業に向けての協働の舞台は整った。言うならば、資金は銀行に有る。そして、欧州プロジェクトのために各国が資金を供出すれば、大統領が説明したように、北大西洋条約機構による積極的な平和構築の証拠になる。 * * *