宮崎宣子アナ(44)都会に憧れアナウンサーになったものの落ちこぼれを痛感する日々、体調不良をきっかけに起業し奮闘中|STORY
宮崎出身の宮崎宣子さん(44)。「地元で学校の先生になってほしい」という両親からの強い願望に戸惑う青春時代。当時、楽しみにしていたドラマやファッション誌から垣間見れる東京が地元宮崎と全く違うことに気づき、一度は都会を見てみたいと思い、地元宮崎を出て東京にいくために考えた職業がアナウンサーになることでした。宮崎での学生生活からアナウンサーになってからの失態まで語っていただきました。 【写真あり】宮崎宣子アナのノースリーブ姿にスタッフも釘付け
<宮崎宣子さんprofile> 1979年生まれ。早稲田大学卒業後、2002年から10年間日本テレビのアナウンサーとして、「世界仰天ニュース」や「ラジかるッ」を担当。2019年4月より個人事務所を立ち上げ、起業家としてもオーガニックハーブを使ったボディーケアブランドEMARA株式会社の代表としても活躍中。現在早稲田大学大学院にて経営管理研究科に在籍中。
将来のことでモヤモヤしていた思春期に見た番組で、これだ!アナウンサーになるしかないと思いました
私は宮崎県生まれなのですが、父が高校の教師で母からはとにかく学校の先生になりなさいと常に言われていました。親に敷かれたレールのままでいいのかとモヤモヤしてたときにテレビでバラエティ番組のNG集をしていたんです。アナウンサーの方が流行りのお店に行ってお酒を飲んで、酔っ払ってしまいうまく進行できなくてNGという内容でした。この時にアナウンサーという職業にピンときたんです。いち早くトレンドの場に行けて、様々な方々とも会える未知の世界。身体に電気が走った気がしました。アナウンサーになる!と志したのが高校1年生の1月2日(笑)。決めた翌日には放送部に入ってましたね。アナウンサーという職業なら働く姿をテレビを通じて両親に見せることができるし、一度東京へ行ってみたいという思いもありました。 その後アナウンサーになるためには、マスコミに強い大学に進学したいと早稲田大学を目指しました。母は地元にいて欲しいと願っていたと思うのですが、私は早稲田に合格することを目標に高校生活を送りました。九州の人って地元を出してもらっても、まずは福岡までの人が多いのですが、父が学生の頃に早稲田大学の前で学帽をかぶって高下駄を履いている写真を見たことがあり、早稲田なら出してくれるだろうと思ったんです(笑)。