ハコスカとケンメリの偉業【ケンメリ編】今も破られていない歴代スカイライン最大のヒット作「ケンメリ」こと4代目C110スカイライン
1973年1月、第2代目となるKPGC110スカイラインGT-Rが登場する。しかし……
1973年1月、第2世代のGT-Rが登場したが、すぐに販売を打ち切っている。 その後のリーダーは、L20型エンジンにSUツインキャブを装着し、ゴールドバッジを付けた2000GT-X。 GT-Rほど尖った存在ではないが、多くの人はこれで満足した。発売直後にオイルショックに見舞われ、排ガス規制も厳しさを増したからである。 GTまでも牙を抜かれた状態だったが、多くの人はスカイラインのオーナーになることを夢見ていた。 1973年、スカイラインは初めて年間販売台数が15万台を超えた。上級クラスの高額なスポーツモデルが、月に1万台を大きく超える販売台数を記録したのである。 さすがにオイルショック翌年の1974年は販売台数を落ち込ませたが、それでも11万台を超える販売台数だから驚きだ。 1975年秋に排ガス対策を本格化し、電子制御燃料噴射装置のEGIを採用して昭和50年排出ガス規制をパスしたGT-XEを発売。この年は再び15万台を超える販売をマークした。スカイラインの累計生産台数が100万台に達したのもこの年だ。 ケンとメリーのスカイラインは、モデル末期になっても勢いを失わなかった。逆風が吹き荒れたが、好調を維持したまま5代目のC210系(ジャパン)にタスキをつないだのである。 歴代のスカイラインのなかで最も生産台数が多かったのが、この4代目のケンメリだ。最大のヒット作となった理由はいくつかある。 そのひとつは、GTの名の通りロングドライブを得意としたことだ。 長時間のドライブでも疲れない高性能モデルで、ドライバーとパッセンジャーに優しい快適性の高いクルマでもあったのだ。 スカイラインは、ニッポンが発信した独創のスポーツモデルで、それを開花させ多くの人に魅力を伝えたのが3代目のC10系スカイライン(ハコスカ)だった。 そしてこの設計哲学を受け継ぎながらファッション性を高め、新たな広告展開を加えて大成功を収めたのが4代目のC110系につながっている。 華麗な系譜を誇るスカイラインのなかにあって、突出した個性と輝きを放っているのが「愛のスカイライン(ハコスカ)」とこれに続く「ケンとメリーのスカイライン」なのである。
Nosweb 編集部
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