1970年代のオイルショック時、日産5代目「セドリック」はどのようにしてターボエンジンを国に認めさせたのか【歴史に残るクルマと技術044】
●日産のセドリックターボが登場した1979年はどんな年?
1979年には、スズキの「アルト」も発売された。アルトは、物品税がかからず価格が安くできる商用車でありながら、乗用車のようなスタイルの“軽ボンネットバン”という新しいカテゴリーを開拓し大ヒットした。 第1回パリ・ダカールラリー(パリ・ダカ)が開催。この年のパリダカは12月26日にパリを出発し、翌1979年1月7日にかけ167台が砂漠を駆け抜ける過酷なレース。ちなみに、優勝はランドローバーの「レンジローバー」であり、これによりランドローバーは高級オフローダーとしての地位を不動にした。 その他、スリーマイル島原発事故が発生、ソ連のアフガニスタン侵攻が開始、ソニーの「ウォークマン」が発売され、TVドラマ「3年B組金八先生」の放送が始まった。 また、ガソリン124.8円/L、ビール大瓶228円、コーヒー一杯238円、ラーメン290円、カレー356円、アンパン76円の時代だった。 ・・・・・・・・ 誕生以来、トヨタのクラウンとともに高級車市場を二分する人気を獲得した「セドリック」。5代目は日本初のターボエンジンを搭載し、新たな高性能時代を切り開いた、日本の歴史に残るクルマであることに、間違いない。
竹村 純