1970年代のオイルショック時、日産5代目「セドリック」はどのようにしてターボエンジンを国に認めさせたのか【歴史に残るクルマと技術044】
●燃費のためのターボとして認可されたセドリックターボ
そして、5代目デビューから4ヵ月後、2.0L直6 SOHCエンジンにターボを装着した国産乗用車初のターボモデルが追加された。 1970年代は、オイルショックや排ガス規制が強化され、省エネや環境性能が重視された時代。そのため出力向上のためのターボエンジンは、運輸省(現、国交省)の認可がなかなか下りなかった。セドリックターボは、高出力のためでなく、中低速トルクを増大し低燃費と性能のバランスを取ったターボ。今でいうところのロープレッシャー(低圧)ターボやダウンサイジングターボに近いコンセプトで国内乗用車として初めて認可を受けたのだ。 セドリックターボは、過給圧は抑え気味ながら、最高出力145ps(ベースエンジンに対し15psアップ)、最大トルクは21.0kgm(4kgmアップ)を発生し、スポーティな走りができるモデルとして人気を集めた。 セドリックターボの車両価格は、ベースよりも約40万円高い226.3万~264.2万円。当時の大卒初任給は、11万円(現在は約23万円)程度なので、単純計算では現在の価値で473万~552万円に相当する。
●セドリックが起爆剤となり1980年代にターボ時代到来
1970年代のオイルショックと排ガス規制により、エンジン性能が抑えられた反動もあり、セドリックターボの登場が起爆剤となり、1980年代に入ると各メーカーから堰を切ったようにターボモデルが投入された。 ただし、そのほとんどはセドリックが認可された燃費に配慮したターボとは異なる、高性能を追求するための大型ターボを使った過激な高出力ターボだった。1980年代は、バブルの勢いもあり、クルマには高性能と高機能が求められ、多くの高性能モデルが登場した華やかな時代だった。 しかし、圧縮比を下げてターボの過給圧を上げて高出力を得るという手法は燃費の悪化を招くため、地球環境問題がクローズアップされ、バブルが崩壊した1990年代中頃には、ターボモデルは悪者とされて市場から淘汰された。 ところが、2010年代に入ると欧州で燃費向上のためにダウンシングターボというコンセプトが市場を席巻し、再びターボモデルが復活。高出力化の切り札として登場し、環境に対する悪者扱いされたターボチャージャーだが、CO2削減が叫ばれる現在、低燃費に貢献する技術として活用されている。ターボは、基本的に排気エネルギーを回収するという技術なので、上手く使えば省エネになるのだ。