「思い出すのも嫌」な不祥事 大垣日大の老将の原点 センバツ
前任校を含めて監督歴は56年を数え、記録が残る限りで最高齢の甲子園監督。第95回記念選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高野連主催)の初日に登場する大垣日大(岐阜)の阪口慶三監督(78)だ。甲子園での通算勝利数は39。数々の名勝負を繰り広げ、センバツ優勝も果たした名将の原点は「思い出すのも嫌」と語る経験だった。 阪口監督が前任の東邦(愛知)の監督を務め、8年が経過した1975年の初夏、部員間での暴力行為が発覚したのだ。日本学生野球協会からは1年間の対外試合禁止の処分が下された。阪口監督は「えらいショックだった」と、顔をしかめながら当時を振り返る。 この処分により、部から離れる選手もいた。自ら身を引くことも考えたが「3年間見守り、夢の甲子園に連れて行くのが自分の仕事。自分を信じて残ってくれた部員もいる。ここで身を引くのは、ひきょう者だ」と、以前にも増して猛練習に取り組んだ。 その姿は「鬼の阪口」と称されたが「お前たちは俺の子ども。俺の子どもなら強い子に決まっている」と選手たちを励ました。現在まで続く阪口監督の信念だ。一方で、部員は家族との思いから合宿先に自分の妻と幼い子どもを同行させた。練習後には部員たちを映画館やお好み焼き店に連れて行くなどかわいがった。 不祥事の当時1年生で、後に社会人野球のJR東海監督やNHKの高校野球解説者を務めた捕手の大矢正成さん(63)は「練習試合すらできず、奈落の底に落ちたが、阪口先生の情熱は全く冷めていなかった。練習は相当厳しかったが、野球以外のことでも親身に寄り添ってくれた」と振り返る。 処分解除翌年の77年。3年になった大矢さんと「バンビ」の愛称で親しまれた1年生投手の坂本佳一さん(61)のバッテリーで夏の甲子園出場をもぎ取り、準優勝。89年春にはセンバツ制覇を成し遂げた。 2005年に大垣日大の監督に就任後も部員たちには「親」のつもりで接し、練習が終われば、部員たちとグラウンド近くの川で小魚を探して遊ぶこともある。日比野翔太主将(3年)は「阪口先生は心の距離を縮めながら、僕たちが勝つために力を尽くしてくれる。先生を日本一の男にしたい」と意気込む。 初戦の相手は昨秋の九州大会を制した沖縄尚学。勝てば監督通算40勝の大台に乗るが、阪口監督の目標は今大会での優勝を意味する45勝だ。「勝って反省、負けて反省。『負けない野球』を覚えるまで、監督を続けるだろうなあ」。人生を懸けて育てた「強い子」たちと34回目の甲子園に乗り込む。【黒詰拓也】