現役を引退したヤクルト・近藤弘樹の壮絶な野球人生 肩の大手術乗り越えて復帰したことが持つ大きな意味
【燕番コラム】壮絶な野球人生だった。今季限りでヤクルトを戦力外となった近藤弘樹氏(29)が、現役引退を決断した。2021年に楽天から加入すると、春季キャンプ中に習得したシュートを武器に22試合に登板し防御率0・96と活躍。同年のリーグ優勝に大きく貢献した。 【写真】楽天のアカデミーコーチに就任する近藤弘樹 その輝きは刹那的だった。運命が変わったのは同年5月26日の日本ハム戦(神宮)。マウンドに上がった1球目が大きくすっぽ抜けると、そのまま降板。その日以来、1軍での登板はなく、ユニホームを脱いだ。 「すっぽ抜けて、『何かやばいな』とは思いました。ブチブチという音がしましたし、痛いし、じわっとしている、ジンジンしている感じがしました。結果的にあの日が1軍最後の登板になったので、忘れることはありません」 最初の診断名は「右肩甲下筋の肉離れ」。故障の度合いは3度に近い2度という重傷だった。さらに肩関節亜脱臼、前方関節包靱帯(じんたい)断裂も重なり、棘下筋や棘上筋もひどく損傷。とても、投げられるような状態ではなかった。 チームドクターやトレーナーにも相談しながら多くの病院を回った。出会ったのは、スポーツ医療が専門で肩や肘の治療に詳しい大阪医科薬科大学・三幡輝久医師だった。さまざまな手術法を探りながらたどりついたのは大腿筋膜(太ももの筋膜)を右肩に移植し、靱帯と腱板を再建するという大手術。過去には元中日・木下雄介氏が受けたことはあるが、ほとんど前例はなかった。三幡医師がかつて同じく肩を故障したヤクルト・伊藤智仁投手コーチの体験談を聞いた上で考案し、勧めてくれた手術を受ける決断をした。 22年2月15日。右太ももと右肩にメスを入れた。麻酔が切れたら太ももが痛くて歩けない。肩は包帯で固定され、吊るされている状態が続いた。「まず歩くところからのスタートで、日常生活を取り戻すところから始めました」。競技復帰までに要す期間は1年と言われた。野球選手にとっては途方もない時間。不安に駆られながらのリハビリが始まった。 「痛かったですし、どこまで投げられるようになるかもわからなかった。キャッチボールを始めても、自分の肩じゃない感じはしていました。無理やり進めようとは思わなかったです。痛みに合わせて。駄目な日はやらない、やれそうな日はやると。リハビリが長くて病んでいましたけど、いろいろ切り替えながら、メリハリをつけながらやっていました。球団には手術をさせてもらって、待ってもらっていたので、それがモチベーションになっていたのかなと思います」