人間味のある人物はたったの「5%」…最高裁判事たちの知られざる「人物像」に迫る
「裁判官」という言葉からどんなイメージを思い浮かべるだろうか? ごく普通の市民であれば、少し冷たいけれども公正、中立、誠実で、優秀な人々を想起し、またそのような裁判官によって行われる裁判についても、信頼できると考えているのではないだろうか。 【漫画】刑務官が明かす…死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 残念ながら、日本の裁判官、少なくともその多数派はそのような人々ではない。彼らの関心は、端的にいえば「事件処理」に尽きている。とにかく、早く、そつなく、事件を「処理」しさえすればそれでよい。庶民のどうでもいいような紛争などは淡々と処理するに越したことはなく、多少の冤罪事件など特に気にしない。それよりも権力や政治家、大企業等の意向に沿った秩序維持、社会防衛のほうが大切なのだ。 裁判官を33年間務め、多数の著書をもつ大学教授として法学の権威でもある瀬木氏が初めて社会に衝撃を与えた名著『絶望の裁判所』 (講談社現代新書)から、「民を愚かに保ち続け、支配し続ける」ことに固執する日本の裁判所の恐ろしい実態をお届けしていこう。 『絶望の裁判所』 連載第18回 『事事務総局の方針に意見を述べただけで「不利な人事」…良識派ほど上に行けない、裁判所の腐りきった「実態」』より続く
人間味のある裁判官とは
それでは、キャリアシステムにおいて裁判官から最高裁判事になっている人々(通常6名、現在は学者を経た後記の女性判事がいるので7名であるが、これは変則である)は、どのような人物なのだろうか? このようなことは過去にあまり論じられたことがないと思うが、最高裁判事は、大臣同様公人中の公人である以上、さまざまな意見や評価を受けることは本来当然であり、むしろ民主制の下ではそれがあるべき姿であろう(大臣などはきわめて厳しい分析や批評を受けるのが普通である)し、また、そのようなことを論じるために必要な知識、情報をもった学者は私以外まずいないと思うので、あえて論じておきたい。 おおまかに4つの性格類型に分類できると思う。 A類型 人間としての味わい、ふくらみや翳りをも含めたそうした個性豊かな人物 5% 私が直接、間接に人柄を知っている30人の中では一人だけであり、本当は5%に満たないのだが、あまり細かくしても仕方がないので、とりあえず5%としておく。 この方は、事務総局系の裁判官ではない。何事に対しても一定の見識と意見をもっていたし、人間的な温かみもあった。「最高裁調査官に本来決裁制度など作るべきではない。判事と調査官が2人でよく話し合ってベターな結論を探っていけばよいことだ」、「私は裁判官出身の最高裁判事であり、公人中の公人なのだから、自分の意見は判決の中でだけ述べたい。そこに残らず表したい」などが私の聴いた彼の言葉である。 もっとも、この判事についても、「あの人は見かけは温厚そうだが策士的なところがある。また、失敗をした部下に対して非常に厳しい処遇をすることがあった」という評価をする裁判官もいた。 私は、この評価にも当たっている部分があると思う。しかし、実務の世界はきれいごとだけではすまず、はっきりいえば泥まみれの戦場のような部分もあるし、一定の妥協も必要である。そのような側面がなければ、事務総局系でもない人物が最高裁判事になれるわけがないのだ。また、この方は、そのことを全く自覚していなかったわけではないと思う。つまり、「痛み」を知っていたと思う。 日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行されます。 「同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」 これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。