小林亜星「もう終わりだ」大ピンチ秘話から今後の芸能・音楽への危機感
「もう終わりだ」超一流歌手の譜面を紛失
押しも押されもせぬ作曲家になった亜星だが、長いキャリアの中で万事休す、「こりゃあーダメだ」と思ったことが一度だけあるという。 「超一流のオペラ歌手の砂原美智子さんがイタリーに行って新しいピアノ譜を仕入れてきたんです。NHKからアレンジを頼まれて、譜面を持ち帰ったのはいいんだけど、まず飲みに行って帰ってから朝に取りかかろうと思ったのね。それで、飲んで店を出たら『あれ? 預かってた譜面、どうした?』……どっかへ失くしてきちゃったの。これはもうダメだ、この商売終わりだなと思いました」 観念した亜星は、渋谷の屋台に飛び込んで再び酒をあおった。 「今度は屋台で、もう動けなくなるくらい飲んじゃって。それで家に電話して『俺はもうダメだよ! これで終わりだよ!』って言ったら、当時のカミさんが『それはアンタ誰から預かったの?』って聞くから『デスクからだよ』って。それで、カミさんが朝5時頃にNHKに行ってね。そうしたらね、いくらでも複製があるというんだ。それを取ってきてくれたんですよ。デスクは譜面を渡すと『すぐ帰んなさい』って言ってたって。事なきを得ました。複製がなかったら一巻の終わりでしたから」 それ以来、「そういうことにならないように真面目になった」と大笑いした。
仕事とはあまり思わない、道楽だよね
順調に音楽の仕事を続ける中、思いがけず俳優デビューも飾る。昭和49年から放送された向田邦子原作のドラマ「寺内貫太郎一家」(TBS系)にいきなり主演、ちゃぶ台をひっくりかえすような頑固親父ぶりでブレークした。それまでは長髪にサングラスをかけていたが、プロデューサーの久世光彦のアイデアで髪を坊主にし、黒い丸縁メガネに印半纏等を身に着けた。 「向田先生のお父さんをモデルにしていたそうで、太っている俳優を探していたらしい。でも高木ブーさんは忙しく、フランキー堺さんも監督業を始めて映画をお撮りになっててそれどころじゃない。ドラマの音楽をやって放送局にも出入りしていた僕が目にとまっちゃって、『亜星がいいんじゃないか。デブだからアイツ出しちまえ』って乱暴な話で。41歳のときでした」 演技経験まったくゼロだったが見事に役にハマり、西城秀樹が演じた長男・周平との大喧嘩では西城が実際に腕を骨折して入院したこともあるほどの熱演となった。樹木希林(悠木千帆)が演じたお婆さんのきんが、沢田研二のポスターを見て身悶えしながら「ジュリ~!」と叫ぶシーンなども話題となり、ドラマは大ヒット。亜星のパブリックイメージに大きな影響を与えたと言って過言ではない。 昭和から平成にかけて、小林亜星といえば知らない人はいないほどの成功を収め、その中には前述の譜面紛失のようなピンチもあったが、音楽的に続けるのが嫌で自分からやめたいと思ったことは一度もないと振り返る。 「だってこれ(音楽)が一番好きなんだから。仕事とはあまり思わない。要するに、道楽だよね」