「本当に引退したかった」…厳しすぎるポルノ規制の中「伝説の踊り子」がわいせつ行為を繰り返したまさかのワケ
1960年代ストリップの世界で頂点に君臨した女性がいた。やさしさと厳しさを兼ねそろえ、どこか不幸さを感じさせながらも昭和の男社会を狂気的に魅了した伝説のストリッパー、“一条さゆり”。しかし栄華を極めたあと、生活保護を受けるに至る。川口生まれの平凡な少女が送った波乱万丈な人生。その背後にはどんな時代の流れがあったのか。 【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」 「一条さゆり」という昭和が生んだ伝説の踊り子の生き様を記録した『踊る菩薩』(小倉孝保著)から、彼女の生涯と昭和の日本社会の“変化”を紐解いていく。 『踊る菩薩』連載第46回 『異例の裁判やり直し! 警察と検察の異常なまでの「執念」に追い詰められた「伝説の踊り子」』より続く
検察への反論
仕切り直しとなった第3回公判は10月4日に開かれた。一条は白い長袖のワンピースに黒いベストを羽織って出廷した。髪は黒いスカーフで覆い、化粧はほとんどしていない。 顔に泥を塗られた検察側は態度を硬化させ、一条への攻撃を強めていく。 「わいせつ罪に問われている被告が、公判中にポルノ映画に出演するのは、反省がない証拠である」 さらに検察側は、ポルノ映画への出演でわかるとおり、彼女には引退する気がなく再犯の恐れがあると責め立てた。 「これまで被告人は何度も逮捕され、その都度、公判や取り調べ段階ではもう引退すると言ってきた。しかし、そのたび、引退を先延ばししてわいせつ行為を繰り返した」 これに一条は反論する。 「私自身はいつも引退する気だった。本当に引退したかったんです。でも、プロダクションの関係などがあって引退できなかったんです」
検察の間抜けな質問
彼女は私にこう語っていた。 「引退する気がないって責められたから、髪を切ったんです。本当に引退するんだって信じてもらいたかったから」 この日の公判で検察側は、「中華人民共和国にもストリップショーなるものがあると思うかね」と聞いている。 一条は、「よくわからない」と答えるしかなかった。 「自由」の概念が異なる中国を持ち出した、検察側の意図は不明である。まさか中国にはストリップのような芸はないと言いたかったのであろうか。共産党一党支配の国と違い、権力を気にすることなくストリップを見られる自由こそ、日本社会の成熟ぶりを示しているのではないか。 この公判直前の9月25日~30日、田中角栄が首相として戦後初めて訪中し、日中共同声明に署名している。今となっては、中国ブームに浮かれた検察が、間の抜けた質問をしたとしか思えない。 さらにこの日の公判で検察側は、一条の内縁の夫、吉田について妻子の存在を明かし、「いつまで一緒に生活するつもりか」と問うている。一条は動揺し、声を上げて泣きながら、「裁判の決着がついたら別れます」と述べた。 証人として出廷した日活プロデューサーの三浦朗は、この映画は性を売りものにしているのではないとしたうえでこう証言した。 「性の問題を、我々は過去、よけて通ってきた。それをよけないで全力投球でぶつかっているのです。裁判の有無にかかわらず、当然、一条さんに出演交渉したでしょう。彼女の虐げられた人生、つらい人生が、なにかしら胸を打つのです」