「本当に引退したかった」…厳しすぎるポルノ規制の中「伝説の踊り子」がわいせつ行為を繰り返したまさかのワケ
一般市民の「ストリップ」への反応
製作者側がどう説明しようとも、映画が公判に与えた影響は無視できず、一条の弁護士も、「裁判中であることをもっと慎重に考えてほしかった」と述べている。 『一条さゆり 濡れた欲情』はこの公判の3日後に封切られ、72年度のキネマ旬報の日本映画ベストテン8位、映画芸術ベストテン2位になった。神代はキネマ旬報脚本賞、主演の伊佐山は女優賞に輝いている。「同じ仲間同士」と誘われてはみたが、周りは階段を上り、一条は奈落の底へ転落する感覚を味わっていた。 この映画については、ポルノをどう評価すべきか、について議論が起こり、映画評論家の津村秀夫は、「ポルノ映画がベストテンに入ったり、ポルノ女優が女優賞をもらったりするキネマ旬報ベストテン選考委員を辞退したい」と申し出て、選考委員を辞めた。 一条の公然わいせつ事件での公判が続いていた72年、警察や検察が取り締まりを強化していたにもかかわらず、全国各地の大学学園祭では、日活ロマンポルノが上映され、田中真理などポルノ女優の人気が高まっていた。 一審の裁判がヤマ場を迎えたその夏、俳優の殿山泰司は週刊誌で、こう語っている。 「人の害になるわけじゃないし、ボクとしてはオープン(陰部まで見せる)だけじゃなく、見世物として実際にやっているところを見せたっていいと思っているくらいだから、一条さんに対する弾圧に怒りを感じます」 ストリップは庶民の数少ない楽しみの一つで、そこではすでに「特出し」は常識となっていた。殿山は女性の裸を生で見ることは、女体について知るにも有益だと語り、警察の捜査を「クソおもしろくもねえ」とまで批判している。こうした感覚は当時の一般市民の気持ちに近かった。警察や検察の考えは市民感覚から、恐ろしくかけ離れていた。 『裁判の場で女性を蹂躙…昭和では「常識」だった、今では考えられないヤバすぎる「男尊女卑」』へ続く
小倉 孝保(ノンフィクション作家)