「ゆっくり仕事」がストレスを減らし効率を上げる、知的労働の「疑似生産性」に騙されるな
燃え尽き症候群や病的なストレスを防ぐためにできること、ベストセラー作家の大学教授が力説
会議、電話、通知、マルチタスク――現代の職場は、リラックスして仕事ができる環境にあるとは言い難い。事実、最近の米国の調査では、米国人の84%が「自身が抱えるメンタルヘルスの問題の少なくともひとつは雇用主に関するものである」と答えている。 ギャラリー:人類が地球を変えてしまったと感じる、空から撮った絶景 写真23点 燃え尽き症候群やストレスに悩まされる人の数が驚異的に増えつつあるなか、米ジョージタウン大学の教授でベストセラー作家のカル・ニューポート氏は「スピードを落とそう」と呼びかける。自身の新著『Slow Productivity(スローな生産性)』において、なぜ仕事をこなすことの負担がこれほど大きいのか、その理由を明かしている。 現代の職場が抱える矛盾、そして、どうすれば「スローな生産性」の原則を生活に取り入れることができるかについて、ニューポート氏に聞いた。 * * * ――あなたの著書では、現代の職場で一般に見られる状況を表すうえで「疑似生産性」という言葉を使っていますが、これはどういう意味でしょうか。 カル・ニューポート氏(以下、ニューポート):我々は「目に見える活動」を、有益な努力を示す指標として使っています。こうしたやり方は、工場や農業部門での生産性の測定方法に由来するものです。工場の場合は生産された車の数、農業であれば耕作地1エーカー(4047平方メートル)当たりのトウモロコシの収穫量を見れば、どの程度の生産性があるかがわかります。 この方法は知識労働に適していませんでした。そこには、微調整して改善できるような、明確に定義された生産システムが存在しないからです。そこで、代わりに擬似的生産性が用いられるようになりました。かつてのように数値や割合で生産性を測ることができないのであれば、活動していないよりは活動しているほうが良いとしておこう、となったわけです。 ――オフィスワークはなぜストレスが多いのでしょうか。 ニューポート:この問題をもたらしたのはIT革命です。我々は電子メールやコンピューター、さらにはモバイルコンピューティングやスマートフォンを手に入れました。引き受けられる仕事の量が増えたせいで、突如として擬似的生産性が制御できないほど加速しました。 メールやインスタントメッセージでのやりとり、あちらこちらのデジタル会議に顔を出すなどの行為を通じて、自分が努力している様子を、より詳細に示せるようになりました。これをきっかけとして、今日見られるような燃え尽き症候群危機への転落が始まったのです。 ――「退社は5時以降にしろ」と言う上司をどう思われますか。 ニューポート:それは典型的な擬似的生産性です。活動が生産性の指標となっているため、活動が多いことが少ないことよりも良いとされ、活動していなければ疑いの目を向けられます。 ―― 擬似的生産性がもたらすプレッシャーは、上司や同僚にどのような影響を及ぼすでしょうか。 ニューポート:できるだけ多くのことを抱え込もうとすると、結局は生産に非常に時間がかかるようになります。擬似的生産性は、仕事をする我々の足を引っ張るだけです。実際に良いものを生産するのが目標であるならば、擬似的生産性ではうまくいきません。 ――より多くの仕事を引き受ければ、より多くのことが成し遂げられるのではありませんか。 ニューポート:皮肉なことに、現実にはそれが逆の効果を及ぼすこともあるのです。管理上の負担が増え、最終的には、一日の大半が引き受けたさまざまな仕事の管理に費やされるという状況に陥ります。仕事を進める時間はほとんど残りません。仕事を仕上げる速度はガタ落ちになります。誰にとっても良いことはありません。会社の利益は増えず、価値も生まれません。従業員は燃え尽き、離職率が上がります。 ――現代の米国は労働力の77%以上が職場でのストレスを経験しているというデータがあります。 ニューポート:心理的な面から言えば、人々は今、非常に厳しい状況にあります。我々の働き方が、完全に脳を麻痺させているのです。過去20~30年間の経済における最も不可解な欠点のひとつは、人間の脳を使って価値を生み出すセクターが存在するにもかかわらず、人間の脳がどのように機能するかについてはまるで関心が払われていないことです。 我々は人間の脳を、タスクを次から次へと処理する装置のように扱っています。脳内でさまざまなプロジェクトを追跡し続ける負担は相当なものです。常に継続中で積極的に取り組まなければならない責務が生じる10種類の作業を同時に処理するというのは、人間の脳が耐えられることではありません。 ――しかし、メールやインスタントメッセージなどのツールは、仕事を楽にするように設計されているのではありませんか。 ニューポート:人間の脳を少しでも理解している人は、複数の仕事を同時にこなすとろくなことにならないと知っています。メールの受信トレイなどに注意を向ける際には、非常に高負荷な認知的コンテキストスイッチ(脳内の作業文脈の切り替え)が起こります。あなたの脳は「やれやれ、今度はこれに注意を払わなくては」と考えます。これは脳にとって非常に大きな負担であり、たとえるなら、重さ5キログラムの靴を履いて走っているようなものです。 ――一般に、歴史上最も生産性が高い人物といえば、作家のジェーン・オースティンのような、精力的に活動する人のことを指します。オースティンは、家族がせわしなく出入りする自宅の居間でこっそりと小説を書いていたそうです。しかし、あなたの著書によると、オースティンが良い作品を書けるようになったのは、家事や家族からのプレッシャーから解放された後だったそうですね。 ニューポート:ジェーン・オースティンの場合、義務の少ないシンプルな生活を送るようになって初めて執筆ができるようになりました。問題は仕事の量にあったのです。現代の知識労働について考えるにあたっては、我々はオースティンの経験に学び、デジタル作業量の管理などに生かすとよいでしょう。 ――では、「スローな生産性」を実践するには何から始めればよいでしょうか。 ニューポート:労働者は自分が思っている以上に自律性を持っていると、私は考えています。最初にやるべきことを選ぶとするなら、私は一度に取り組む作業の数を減らします。 これは、自分が引き受ける作業の数を減らさなければならないという意味ではなく、心の中で、「私は今、積極的にこれに取り組んでいる」と「この作業を引き受けたが、今は開始の時を待っている」との間を明確に区別するということです。そうすることによって心に余裕が生まれ、一息つくことができます。こうしてペースを落としつつ、ほかにどのようにすれば作業を改善できるかについて考えるのです。 ――完璧主義に苦しんでいる人にアドバイスはありますか。 ニューポート:ペースを落とすと、すぐに完璧主義が頭をもたげるものです。私が勧める解決策は、具体的な目標や区切りを設定することです。 ビートルズがアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を制作した際、彼らはその気になればいくらでもスタジオに居続けることが可能でした。そこで、彼らはまずシングルを1枚リリースし、それをひとつの区切りとしました。そうすることによって、アルバムを完成させる必要があることを自覚したのです。みなさんもこれにならうことができます。何かを特定の時期までに行うことにしようと、具体的に決めることが大切です。 ――最後に、メッセージをお願いします。 ニューポート:疑似生産性は我々から自尊心を奪います。自分は忙しくしている以外には価値のない存在だと思わされるのです。技術、主体性、クオリティに関する感覚も失います。長期的に見て、あなたのキャリアを確立し、優位性をもたらしてくれるのは、あなたが得意とすることに長けることです。あなたの中には今も、職人としてのあなたが隠れています。そのことが重要ですし、決して見失ってはなりません。
文=Erin Blakemore/訳=北村京子