ルノー・プジョー・シトロエンだけじゃない! 消えたフランスメーカー・シムカはご存知?『さいたまイタフラミーティング2023』で見つけた名車・旧車vol.7
第二次世界大戦中はドイツ占領軍の庇護下で戦争の影響を最小限にとどめる
しかし、1939年に第二次世界大戦が勃発すると、政府の命令により民間向けの乗用車生産は凍結を余儀なくされる。さらに1941年の独仏戦でフランスが降伏し、進駐してきたドイツ軍はフランス企業への戦争協力を命じた。これによりシトロエンやルノー、プジョーは乗用車の生産が引き続き禁止されたが、イタリア資本のシムカだけには、ドイツ軍向け車両の生産の側で民間向け乗用車の生産が許され、フランス国内の市場を独占した。 ただし、1942年のスターリングラード攻防戦、1943年の北アフリカ戦線とクルスクの戦いにドイツ軍が相次いで敗北し、戦局が枢軸国不利に傾くとシムカへの優遇政策は撤回され、以後は終戦までドイツ軍向け車両の生産と修理が主な業務となった。 なお、占領軍の庇護下にあったシムカは自動車生産の合理化のため、高級車メーカーのドライエ・ドラージュ、トラックメーカーのウニックとベルナール、老舗商用車メーカーのラフリーとの間で企業統合が行われ、新たに設立されたジェネラル・フランセーズ・オートモービルの一員となる。この企業連合体は戦後も「ポンス計画」(政府の指導のもとで生産カテゴリーごとに自動車メーカーをグループ分けして生産を分担するというもので、廃案となった日本の特進法に近い政策)のもとで戦後もある程度維持されたが、大手自動車メーカーであるシトロエンとルノーの不参加や各メーカーの反発もあり、次第に形骸化して行ったようだ。
1950~1960年代に黄金期を迎えるがクライスラーの敵対的買収のターゲットに
第二次世界大戦終結後、戦災による被害をまったく受けなかったシムカは、1946年には早くも戦前型乗用車の生産を開始する。戦後もフィアットとの関係も変わりはなかったが、1951年には同社初の独自設計モデル(エンジンのみフィアット製)のアロンドを発表。このクルマがヒットしたことにより、好調に乗ってウニックと農業機械メーカーのソメカ、フォードのフランス拠点だったフォード・フランスを買収(フォードが所有していたポワシー工場も入手)する。続けて1956年には商用車メーカーのザウラー・フランス、1959年には高級車メーカーのタルボを傘下に収めた。 しかし、この買収劇が好調だったシムカの足元を掬うことになる。フォード本社がフランス・フォードを手放した際に株式交換で手にした15%のシムカ株は、ヨーロッパ進出を目論むクライスラーに売却されてしまったのだ。 その後、水面下でシムカの買収を目論むクライスラーは1960年までに水面下でシムカ株を買い漁り、その比率は25%にも達したのである。「親方フィアット」とすっかり安心しきっていたピゴッツィらシムカ首脳陣は、そのことにまったく気づかなかったという。 1962年にイタリアの自動車輸入が自由化されると同国の市場をほぼ独占していたフィアットの経営は急速に悪化。その一方でさらなる増資を要求する子会社であるシムカの存在は、フィアットにとって重荷に感じられるようになる。そして、ついにフィアットは経営立て直しのためにシムカ株を放出を始めたのだ。 このタイミングを虎視淡々と狙っていたクライスラーは敵対的買収に動く。1963年には新聞広告に「時価の25%増しでシムカ株を買い取る」との広告を出した。これに驚いたシムカは買収対策に乗り出すもときすでに遅く、この時点でクライスラーは64%の株式を握っていた。経営の実権をクライスラーに奪われたピゴッツィはここに退任を決意し、1964年に失意の中で心臓発作により亡くなった。 その結果、1969年に発表されたシムカ1100がフィアット系最後の乗用車となる。そして、1970年に同じくクライスラー傘下となった英国ルーツ・グループがクライスラーUKに社名を変更されたタイミングに合わせて、シムカもクライスラー・フランスに改名された。その後はクライスラーが手掛けたフランス向けの欧州戦略車にシムカの名が残されたものの、それも1979年にデビューしたオリゾンが最後となった。 強引な手法でシムカを手にしたクライスラーであったが、1970年代に入ると急激なグローバル戦略が裏目に出て失速。石油ショックの影響で北米事業が傾むいたこともあり、1978年8月にクライスラー・フランスはPSAグループ(プジョー)に売却された。 新たに同社の経営権を入手したPSAグループは、買収からわずか1年足らずでシムカを廃止し、代わり往年の高級車メーカーであったタルボ・ブランドの復活を決定する。これを受けて生産中だった1307/1308やオリゾンは順次タルボへと改名され、ここに半世紀近く続いたシムカはその歴史にピリオドを打ったのである。