「ステージ4の肺がんです」。俳優・小倉一郎に下った突然の余命宣告に妻とマネージャーは絶句……小倉が胸の内で妻に謝った理由
◆もはや助からないのならば さらにドクターは、「ご家族に直接、今回の診断結果を伝えたい」と、言葉を継ぎました。 この場に同席しているまきは僕の妻です。大切な、大事な家族です。なのに、血のつながっている親族にも告知しなければならない規則らしく、一歩も譲りません。 僕には元の妻との間に三女一男の4人の子供がおり、全員既に巣立って孫もいます。「子供たちには僕が話しますから」と断っても「いや、そういうわけにはいかないから」と聞き入れてくれない。 さらに耳を疑ったのは、「確定診断のために、入院して胸に針を刺して行う『針生検』を受けてもらいます」という言葉です。 正式にがんと診断するために、患部のある肺に針を刺して、病理検査するのだと。もうレントゲン画像でわかっているのに、なんでわざわざ入院してまで再確認しなきゃいけないんだ? 順番が違うじゃないか? しかし、「NO」と言うのも気力・体力が必要です。僕は、いったんすべてを受け入れることにしました。 いや、「受け入れる」というより「あきらめる」のほうが合っていたかもしれません。どうせ死ぬんだから、と。
◆わかれは常に、あるんだよ―― 針生検は4日後の3月8日から9日にかけて、1泊2日の入院で行うと決まり、僕たちは重い足取りで診察室を後にしました。 会計まで向かう廊下を、僕たち3人は無言で歩きました。妻は、杖をつく僕のそばを決して離れようとしません。 ごめん、まきちゃん。 胸の内で、そっと謝りました。 くも膜下出血という大病を乗り越え、実母や伯母姉妹を看取り、ようやく楽になったというのに、今度は夫ががんになるなんて。 それでも僕を気遣って泣き言や気休めを一切口にしないだけに、よけいに申し訳なさが募(つの)ります。 重苦しい沈黙に耐えかね、坂本マネージャーに声をかけました。 「ま、そういうことだから。長い間、お世話になりました」 そして、僕の死後の再放送権料が妻に入るように頼みました。できるだけ淡々と告げたつもりだけれど、彼は黙ってうなだれるばかり。それ以上、会話が続きません。 初めて会ったのは、彼がまだ明治学院大学の学生だった頃。映画監督を目指していた彼とひょんなことから意気投合し、一晩中飲み明かして以来の仲です。 「師匠と弟子」から「俳優と所属事務所社長兼マネージャー」へと関係性は変化しても、人間としての信頼は40年以上、一度として揺らいだことはありませんでした。 しゃぼん玉わかれは常にあるんだよ 先日の谷中ロケで詠んだ俳句が脳裏をよぎります。 どうやら、本物の辞世の句になりそうだな。
◆残りの人生あと1年を、どう充実させようか 明日は土曜日。 子供や孫たちの楽しい週末を、衝撃的な知らせで台無しにしたくありません。 きっと、お休みを取る仕事関係者も多いでしょう。 がんのことは、針生検が終わってから伝えよう。 それよりも、長くてあと2年――、いや、1年と考えたほうがいいだろう。 もはや助からないのならば、残りの人生あと1年を、どう充実させようか。 帰りの電車に揺られながら、様々に思いを巡らせました。 ※本稿は、『がん「ステージ4」から生まれ変わって いのちの歳時記』(双葉社)の一部を再編集したものです。
小倉一郎