国家が崩壊するとき…「この国は外圧がないと変わらない」と言う人が「誤解していること」
わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。 【写真】人生で「成功する人」と「失敗する人」の大きな違い ※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。
悪法の栄え:社会制度には耐用年数がある
政権が「国民が生き生きとして幸せになれる共同体を作る」という本来の目的を忘れると、一時期に権力を握った勢力も徐々に民心を失っていく。 政治的腐敗が進み、民心を得られない政権下では、市民も真面目に働くのが馬鹿らしくなる。 こうして、一時期に権勢を誇った王国や文明は軍事力と経済力の両方をみずから手放す。その結果として、常日頃から存在していた危機に対処できなくなり、国家は崩壊するのだ。 国家が崩壊するときの悲喜劇は世界中で同じである。 特定の王国や文明が稚拙な国家経営によって弱体化したとき、まるで狙ったかのように危機(異民族の侵略、大災害と飢饉、内乱と革命などなど)がやってくる。これは当たり前の話である。常に危機は存在していて、政権が弱体化しないと危機は危機にならないだけだ。 こうした特徴から、「この国は外圧がないと変わらない」などと言い出す人も世界中で見られる。すべての国にとって外圧は今この瞬間も存在しているのにである。 弱体化した末期症状の政権は、さまざまな危機に対する無為無策無能ぶりをさらけ出す。それもそのはずで、世の中が変化し続けていて、危機への適切な対処法も変化しているのに、政権内で権力を得る人を選抜する方法は変わっていないためだ。 たとえば、歴史のある時代、ある場所では、ラテン語をマスターした人、聖書に通じた人、四書五経を丸暗記した人、字の綺麗な人、詩作が上手い人などが、当代最高のエリートとして処遇された。もちろん、こうした能力が通用した時代もあったのだろう。 しかし、もしも現代の公務員の選抜基準が変わらず、ラテン語や四書五経だったらどうだろうか。パソコンも使えない頭でっかちの人ばかりが公務員になるという恐ろしい結末が待っている。 日本の幕末においても儒学・朱子学を究めた幕僚たちは黒船来航に右往左往するばかりだった。むしろ黒船来航から続く外圧の危機に対処できたのは、当時最高の教養を誇っていた旗本・御家人ではなく、伝統的教養から比較的自由だった下級武士たちだった。 こうしたことから分かるように、制度と行政には耐用年数がある。 たとえば共和制ローマにおける元老院制度は、各氏族の意向を反映できるという意味で部分的に民主政治を実現していた。しかし、元老院制度は国内での絶えざる政治闘争を生み出すため、外征が頻繁になる時代には向かなかった。だからこそ、カエサル、オクタウィアヌス(アウグストゥス)といった独裁者が台頭し、徐々に帝政に移行していった。 現代では江戸時代の愚策の代表のように扱われる鎖国体制も同様である。 当時の江戸幕府にとっては、戦国時代を終結させて太平の世を実現することが最優先だった。そのため、キリスト教の流入と国際政治の影響による内政の混乱を避け、再び戦国の世に戻ってしまわないために、鎖国を決めたと考えられる。 しかし、鎖国による太平の世は、同時に、日本が外交に疎くなる原因を作った。 つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。
岩尾 俊兵(慶應義塾大学商学部准教授)