「2%の金利上昇で債務超過に」 財政赤字を丸呑みした日銀に迫る債務超過の危機。頼みの綱は爆買いした株の含み益
なぜ日銀財務の悪化に警戒が必要なのか
以上を要約すると、日銀が金融政策の変更を通じて当座預金の付利金利を1.1%程度引き上げると、バランスシートは債務超過に陥る可能性が出てくる。付利金利の引き上げ幅がそれ以上に大きくなると、債務超過の金額が拡大する。また、10年物国債利回りの水準が2.05%程度まで上がると(長期金利が23年度末対比1.3%程度上昇すると)、実質債務超過に陥る可能性が生まれる。金利の上昇幅がそれ以上に大きくなると、実質債務超過の金額が拡大する。 もし、日銀が言うように、本当に物価上昇率が持続的、安定的に2%で定着するのであれば、長期金利の水準は2%台半ばから3%前後まで上がっておかしくない。この場合、短期金利も2%近くになっておかしくないだろう。日銀がどの程度のスピードで利上げを行うかは、最終的には物価上昇が進む速さ次第となるが、債務超過、実質債務超過は決して「夢物語」というわけではない。 同時に、今の日銀の財務はETFの含み益と分配金に多くを依存する構図にあり、株価に脆弱なバランスシートにある。株価や配当金等の変動次第で、試算結果は大きく変わってくることに注意が必要だ。 ただし、日銀は、外部から資金を借り入れることなく、みずから「マネー(当座預金や発行銀行券)」を創造できる。したがって、民間企業や民間金融機関の場合と違って、資金繰りの面から行き詰まることはない。中央銀行とは、そのような特別な存在だ。 しかし、だからといって楽観視はできない。中央銀行に対する信認は、債務超過で資金繰りに支障を来すかどうかではなく、債務超過に陥りかねない姿を市場がどう評価するかによって決まる。もし信認が低下すれば、咎めは円相場の急落や物価の急上昇となって現れてくる。 もともと債務超過の可能性を懸念しなければならない状況に陥るのは、日銀が財政赤字を実質的にほぼ丸吞みしたからである。国の債務残高がどんどん膨らみ続け、その資金繰りを中央銀行が丸ごと面倒をみている国を、市場は信頼し続けるだろうか。財政規律に乏しい国は、経済の生産性も低下しているはずであり、国と中央銀行への信認は低下する可能性が高い。 わかりやすく言えば、次のようなことだ。日銀の債務超過を解消するため、国が日銀に追加出資する予算を立てたとしよう。現在の日本銀行法は1998年に施行されたものだが、それ以前の日銀法には、損失に準備金を充てても足りない時は政府が補填するとの付則があった。現在の日銀法にこの付則は存在しないが、そうした状況を想定してみる。 この場合、政府は国債を発行して日銀への出資金に充てようとするだろう。仮に市中での追加の国債発行が難しく、結局、日銀が国債を市場から買い入れて賄うとすれば、みずから通貨を創造できることを利用した「錬金術」にほかならない。そのような国の通貨が信用され続けることはありえない。信認を失った時点で円相場は大きく下落し、物価は大幅に上がる。これが、真の懸念である。 以上をまとめれば、次のようになる。金利の正常化の過程では、バランスシート上、あるいは実質上、債務超過に陥る可能性が出てくる。もっとも、日銀はみずから資金繰りをつけることのできる特別な存在なので、短期的に放置することは可能だ。しかし、国の資金繰りを日銀がほぼ丸ごと面倒をみた結果なので、国と日本円に対する市場の信認が低下するリスクは着実に高まる。 通貨の信認は過去の長い歴史の中で脈々と積み重ねられてきたものであり、心理的な要素が強い。いったん疑念が生じると、取り返しのつかない事態も想像される。そうした万一の事態を想定して、財務の健全性確保に努めるのが「通貨の番人」たる中央銀行の責務である。 主要な論点は、財政規律の緩みと財政ファイナンス酷似の日銀による国債買い入れにある。債務超過は、結果として起きる象徴的な出来事の一つに過ぎない。債務超過でないからといって、安心してよい話ではない。 先人が脈々と築き上げてきた日本と日本円に対する信認を次の世代に引き継ぐのが、私たちの世代の責務である。財政ファイナンスに酷似した買い入れで積み上げた国債残高を、高水準のままいつまでも放置するわけにはいかない。 *本記事の抜粋元・山本謙三『異次元緩和の罪と罰』(講談社現代新書)では、異次元緩和の成果を分析するとともに、歴史に残る野心的な経済実験の功罪を検証しています。2%の物価目標にこだわるあまり、本来、2年の期間限定だった副作用の強い金融政策を11年も続け、事実上の財政ファイナンスが行われた結果、日本の財政規律は失われ、日本銀行の財務はきわめて脆弱なものになりました。これから植田日銀は途方もない困難と痛みを伴う「出口」に歩みを進めることになります。異次元緩和という長きにわたる「宴」が終わったいま、私たちはどのようなツケを払うことになるのでしょうか。
山本 謙三