【デーブ大久保コラム】優勝パレードは本当に感動します。ファンの声援が選手を後押しします
【デーブ大久保 さあ、話しましょう!】 今でも「何で? デーブとみんなに言われているから?」と疑問に思っていることがあるんですよ。1994年、巨人が日本一になって銀座でパレードをしました。そのときは、選手がそれぞれにオープンカーに4人ぐらいずつ乗り込むスタイルでした。そのときになぜが私はヘンリー・コトーやジミー・ジョーンズの外国人と一緒にさせられた? のです。「オレ、外国人枠?」と思いながら同乗しました。 【選手データ】大久保博元 プロフィール・通算成績 このときのパレードはすごかったですよ。オープンカーですから、警備員を押しのけて多くのファンが車に押し寄せてきました。腕を引っ張られたり、引っかかれたりとすごかったです。銀座の高層ビルから花が降ってきたりもしました。本当に幸せな気持ちになりましたし、野球をやってよかった、日本一になってよかったと感動しました。 この94年のペナントは、今でも伝説として残る「10.8」、中日とのシーズン最終戦で巨人のリーグ優勝が決まったシーズンです。何度もこのことに触れていますが、優勝パレードと言われて思い出したのが、8月後半からの戦い方です。 中日にジリジリと追い上げられて行く中で、チーム内での合言葉がありました。それが「銀座での優勝パレードをするぞ!」でした。「銀座、日本の一等地でパレードができるのはオレらだけだ!」ということも言い合うなど、奮起の材料にしていましたし、大きなモチベーションになったことは事実です。 巨人の銀座でのパレードは日本一になって初めて行われます。それもあり私は巨人に移籍してから日本一になっていなかったので、その感覚はいまいち分からなかったんですが、実際に経験してみて、そのすごさが理解できました。 現役生活で優勝パレードはその1回のみですが、それ以降、やはりもう一度パレードがしたいという思いが、翌年のプレーへのモチベーションになっていました。そして、監督&コーチとしては1回ありました。それが2013年です。当時は二軍監督でしたが、優勝パレードに呼ばれたのです。そう、楽天の日本一のときです。仙台市内でのパレードでした。このときは、先頭に星野仙一監督と球団社長が乗り込み、2台目になぜか私と佐藤義則投手コーチが……。申し訳ない感じでしたね。 このときの選手たちはオープンバスに乗ってのパレードで、警備もしっかりされており、仙台市民、そして楽天ファンは、その外からたくさん手を振って、大きな声援を送ってくれました。このときもファンの声などで、多くの感動をもらいました。 日本一になったDeNAとパ・リーグ覇者のソフトバンクが先日、それぞれの地元で優勝パレードを開催しました。多くのファンが駆け付けて、大いに盛り上がっていました。その光景を見ながら、ああ、素晴らしいな、と思いましたし、私が経験したパレードを思い出しました。思い返せば、一番の「幸せの時間」でしたね。ビールかけとはまた違う感動と至福の時間でした。
週刊ベースボール