“天才少女”と呼ばれた水泳界の逸材が24歳で引退「パリ五輪に行けなかったら辞める、と決めていた」今井月が告白した“決断の理由”
「パリに行けなかったら辞める、と決めていた」
3年前から指導を受けていた飯塚正雄コーチには、こう言われていたという。 「『君のピークは27歳だ』って。ロスが終わっても32歳まで、と言われていました(笑)。レース後にも『100回やったら93回勝てるレースで負けた』みたいな感じで言われて、『力としては絶対上がってるよ。ここでやめるのはもったいないんじゃない』とも言われましたね」 そこには指導者として今井に感じる可能性と期待が込められていた。今日の競泳であれば、十分競技を続けていける年齢でもある。 それでも決断した。 「パリに行けなかったら辞めるってたぶん選考会の前から決めていたのかなと思います」 そしてこう続ける。 「環境を変えて3年目だったんですけど、ほんとうに納得のいく水泳というか練習ができていました。飯塚先生とほんとうにきつい練習をボロボロになりながら、命を削って毎日乗り越えてやってきていたので。振り返っても、あれ以上はできなかったなって思います」
熟考の末の決断「自分の心に嘘なく…」
選考会へ向けて、悔いなく打ち込んできた過程があった。練習を「やりきった」という実感があった。だから選考会の結果はどうあれ、悔いなく決めることができたのだろう。 「1ミリも後悔しちゃ駄目だっていうか、ちょっとでも自分に嘘ついていたら、自分にもすごい失礼だなって思ったので、自分の心に嘘なく、絶対にこっちを選んでよかったと思えるように決断しないと、ということは考えていました」 熟慮の末に決めた進退とそこに込めた思いを、飯塚コーチもいつしか汲み取ってくれた。 「毎月、飯塚先生とお食事して、そのときにどうするのかも相談しながらいろいろ話しました。やっぱり泳いでほしいと思ってくれていると思うんですけど、自分の中ではもうできないなっていうのが大きかったです。だんだん飯塚先生も察してくれたのか、最後は『やりきったって思えているならいいんじゃないか』って言っていただきました」
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