元メジャーリーガー、岩村明憲はなぜ独立リーグ・福島で10年も戦い続けているのか?
■「レイズの心臓」と呼ばれた男 ヤクルトではミスター・スワローズの象徴でもある「背番号1」を背負い、日本一を経験した。WBCにも2度出場して連覇達成。特に2009年大会では、内野手のリーダーとしてまとめ役も担った。 そしてレイズ時代は名将ジョー・マドン監督から「レイズの心臓」と呼ばれるほどの絶大な信頼を得て、チーム初のワールドシリーズ出場にも貢献した。 震災直後にプレーした楽天時代、東北のファンの期待に応えられるような成績を残せなかった悔しさがあったとはいえ、これだけ輝かしい野球人生を歩んできた男が、現役選手として最後の舞台に、誕生したばかりの独立リーグのチームを選ぶことは、並大抵の覚悟ではできなかったはずだ。 岩村の背中を押したものは何かーー。 地震、津波、原発事故、そして風評被害。 同時にいくつもの災難に見舞われた福島という場所で何を成し遂げようと考えたのか。 独立リーグで新たな野球人生を歩み、挑戦を始めた岩村。しかし、「野球を通じて福島復興に協力してほしい」と請われて来たはずの男を待ち構えていたのは、復興や野球とは関係のない、思いもよらない災難だった。 (つづく) ●岩村明憲(いわむら あきのり)1979年2月9日生まれ、愛媛県出身。宇和島東高校から96年ドラフト2位でヤクルト入団。ベストナイン2度、ゴールデン・グラブ賞6度受賞。2007年にデビルレイズ(現レイズ)に移籍。パイレーツ、アスレチックスでもプレーし、11年から楽天、13年からヤクルト、15年からBCリーグ・福島で選手兼任監督。17年に現役引退して以降も、監督兼球団代表として福島で奮闘の日々を送っている 取材・文・撮影/会津泰成