元メジャーリーガー、岩村明憲はなぜ独立リーグ・福島で10年も戦い続けているのか?
「(岩村監督と)初めてお会いしたとき、まず何よりオーラがすごいなと。WBCやメジャーでの活躍も見ていたので、最初は気軽には話しかけられませんでした。でも実際お話しするとすごく優しい方でした。男気のある、常に選手のことを第一に考えてくれる監督でした。打席に立つときも、ベンチから気持ちのこもった熱い声がけをしてくださいました。岩村監督と出会って初めて、野球に取り組む姿勢、細かな部分までのこだわり、分析など、学生時代の自分の取り組み方がいかに甘かったかを思い知らされました」 畠山氏は「泥まみれになりながらノックを受けたり、ティーバッティングのトスをしてもらったことが特に印象に残っています」と話した。また、他の独立リーグチームに比べて練習内容は厳しく、ランニングなど体力づくりの時間も長かったが、その分「精神的にも磨かれました」と振り返る。 ■地元に貢献したい。誰かの笑顔をつくりたい 畠山氏は引退後、「町の復興の力になりたい。避難した人たちが戻れる町、移住者にとっても魅力ある場所にしたい」と考え、20年春、臨時職員として富岡町役場に就職した。業務終了後に試験勉強に励み、秋に正規職員の採用試験を受けて合格。現在は企画課に在籍し、移住定住促進のための活動に日々勤しんでいる。 13年前の福島第一原発事故の影響で、福島県では最大およそ16万人が避難生活を強いられた。畠山氏は当時中学2年生。富岡町では全住民に避難指示が出され、一時は住民ゼロの町になった。今なお町の一部は帰還困難区域に指定されたままだ。 原発事故以前の人口はおよそ1万6000人。現在は実質2100人程度が暮らしているとみられるが、半数は原発廃炉関連の仕事に就く新規の移住者で、震災前にいた住民はまだ大半が戻っていない。国と東京電力は2051年までの廃炉完了を目指すが、さらに長引くとみる専門家もいる。 「岩村監督の下で学び、仲間と切磋琢磨して厳しい練習をしていた頃を思えば、今、仕事で多少大変なことがあったとしても、『たいしたことないな』と前向きに乗り越えられる自分がいます。ただ、今も野球選手を引退したという実感はなくて。バットを振るか、町役場の職員として働くかの違いだけであって、『地元に貢献したい、誰かの笑顔をつくりたい』という目標や生き方は、野球をやっていた頃と変わらず今も持ち続けています」 ■「絶対に見せましょう、東北の底力を」 翌日、畠山氏に会って話を聞いてきたことを岩村に伝えた。