元メジャーリーガー、岩村明憲はなぜ独立リーグ・福島で10年も戦い続けているのか?
【連載・元NPB戦士の独立リーグ奮闘記】第3章 福島レッドホープス監督・岩村明憲編 【写真】MLBレイズでリーグ優勝し歓喜する岩村明憲 かつては華やかなNPBの舞台で活躍し、今は独立リーグで奮闘する男たちの野球人生に迫るノンフィクション連載。第3章はNPB、MLBで活躍し、WBC日本代表としても活躍した現・福島レッドホープス監督、岩村明憲。輝かしい実績を持つスター選手だった岩村は、なぜ今福島で独立リーグ球団の監督をしているのか。その知られざる奮闘ぶりに迫った。(全4回の第1回) ■大切にしているのは「人間教育」 2024年3月11日、午後2時46分――。 福島県双葉郡楢葉町のポニーリーグならはスタジアムに防災サイレンの甲高い音が鳴り響く中、福島レッドホープス監督の岩村明憲は帽子を持った右手を胸の中央に添えた。 岩村にとってそれは、福島の地で捧げる10回目の黙祷だった。 「東日本大震災で亡くなられた方々に対して、まずはご冥福をお祈りする気持ち。いまだに消息不明の方々もいる中で、そのご家族に対しても、自分なりにですが少しでも寄り添えたらと思いながら祈りを捧げました」 同日はベースボール・チャレンジ・リーグ(以下、BCリーグ)の2024年シーズン開幕に向けたキャンプ初日。朝8時に球場入りした選手たちの早出練習に始まり、9時から全体練習、11時から短いランチタイムを挟んで12時からはシートノック、紅白試合、そしてミスプレーの確認、最後は個人練習と、夕方4時30分の終了まで、メニューは隙間なく詰まっていた。 返事は大きな声。指示を受ければ迅速に移動。練習用のネットやグラウンド整備の道具など、使用した用具は泥を落として戻す。短いランチタイムの後、手の空いた選手はボール磨きに精を出した。 「道具は借りたときよりも綺麗にして返すのが当たり前。それができないならば、施設の管理者の方から言われなくても、チームとして使用禁止にします。それくらい責任感を持って行動するように、という話は1年目から言い続けています」(岩村) プロ野球というよりは、どこか高校の野球部のような雰囲気。NPBを目指すための技術はもちろん、岩村は若い選手に対して、「人間教育」の部分を大切にしていた。 ■「常に選手のことを第一に考えてくれる監督」 筆者はキャンプ初日の前日、福島レッドホープスOBの畠山侑也(ゆうや)氏にお会いした。畠山氏はキャンプ地、楢葉町の隣にある双葉郡富岡町出身で、現在は富岡町役場に勤務している。2018年、大学卒業後に福島レッドホープスに入団した畠山氏は、右肘の怪我の影響もあり、翌19年に自ら退団を申し出てそのまま引退した。 畠山氏に、岩村の下で過ごした1年間について聞いた。