振り返る『極悪女王』の時代 1985年、新日本VS全日本の興行戦争、旧UWFの帰還、ブーム絶頂期の長与vsダンプの髪切り戦――
Netflixで大ヒット中のドラマ『極悪女王』は、1980年代中盤の女子プロレスが舞台になっている。長与千種&ライオネス飛鳥組のクラッシュギャルズが国民的アイドルとなり、敵役として日本中の嫌われ者を買って出たのが、極悪同盟率いるダンプ松本だった。 【フォト】『極悪女王』配信記念イベント ゆりやん、剛力彩芽、唐田えりか…豪華ゲストが登場
『極悪女王』はダンプの視点で語られるフィクションだが、登場人物や出来事など史実をもとにしており、この時代の熱狂を存分に再現していると言えるだろう。 では、実際のプロレス界はどうだったのか。当時はまだ男子と女子のプロレスには大きな隔たりがあったものの、長与が男子プロレスのエッセンスを取り入れ始めたことから女子プロレスの見られ方に変化の兆しが生じ始めた頃でもある。 当時のプロレス界はアントニオ猪木の新日本、ジャイアント馬場の全日本、女子プロが全日本女子プロレスの3団体に加え、新日本から枝分かれしたUWFが格闘色を前面に押し出し、ジャパンプロレスが全日本に選手を送り込んだ。女子は全女が独占しており、女子の競合団体などまだ考えられない時代でもあった。本欄では、『極悪女王』のクライマックスにもなっている長与vsダンプの敗者髪切りマッチがおこなわれた1985年(昭和60年)のプロレス界を振り返ってみよう。 この年のプロレスは、全日本1・3後楽園における大仁田厚“初めての引退”で幕を開けた。前年末から全日本マットに本格侵攻を始めたジャパン軍は長州力を筆頭に、事実上の“全日本vs新日本”となる夢のカードを次々と実現させていった。2・1札幌でジャンボ鶴田&天龍源一郎組vs長州&谷津嘉章組、2・5横浜で鶴田&天龍組vs長州&マサ斎藤組が実現。札幌では2代目タイガーマスクが“虎ハンター”小林邦昭と激突した。ジャパン主催の2・21大阪城ホールではジャパン軍と全日本が全面対抗戦。長州と天龍の初シングルは長州がリングアウト勝ちをおさめ、鶴田も谷津にリングアウト勝ち、馬場はキラー・カーンに反則勝ちをおさめる結果となった。