元近鉄の佐野慈紀氏、右腕切断へ 感染症が進行「戦ってくれた右腕…ごめんなさい」56歳誕生日にブログで告白
元プロ野球選手の佐野慈紀氏が30日、自身のブログを更新。56歳の誕生日を迎えたことを伝えるとともに、5月1日に右腕の切断手術を受けることを公表した。 佐野氏は「56歳になりました。55歳はまさかの1年入院生活 今日は思い出に浸ろうかな。。」とつづり、「1990年ドラフト3位で近鉄バファローズ入団 1991/04/09 初登板 その後、13年右腕を振り続ける」などと自身の野球人生を回顧。97年11月に右腕にメスを入れたものの、「引退してからも右腕に注射の針は入れない」と腕を大事にしてきたという。 そして昨年4月に「右足中指の感染が発覚。重症下肢虚血」とし、「緊急の為、右足中指を切断」と告白。「治療の為、強制入院生活始まる。遅ければ右足を失うとこだった」と明かした。その後は長期入院を経て回復していたが、昨年12月に感染症が足から指先に転移。「最初は小さな傷口だった」というが、指先に壊死(えし)がみられたため指先を2本切断したという。 さらに今年1月、「心臓弁膜症」が発覚。「血流の悪さに懸念が増える。動脈硬化が激しく回復がままならない。糖尿病による影響は恐ろしい。これ以上感染を広げない為に洗浄の繰り返し。毎回激痛が走る」とつづり、「今日まで右手の機能を残す為に治療を続けるも 2024/05/01 感染症が進み明日右腕を切断する事に」と手術を決めたと説明。 「何とか機能を残そうとしたけど。。。ままならない」と苦渋の決断だったことを明かし、「受け入れることなんて出来ないけど 生きる為には乗り越えないとな。思い入れはたくさんある。思い出も語り尽きない。一緒に戦ってくれた右腕 感動を分かち合った右腕 明日、お別れする。ごめんなさい。この言葉しか浮かばない」と吐露した。 「この治療が終わってもまだ終わりではない。心臓弁膜症の手術もしないといけない。感染症も5年生存率と言われ 再発のリスクもある」という。「苦難の先には幸せがある。それを有難いという。ありがとう。失われた右腕 これも長い人生の一つ。そう思いたい。元来ただの強がり。ならば命ある限り強がって生きる。やる事はまだまだたくさんある。目一杯抗いでやる」と必死で前を向いていた。 佐野氏は愛媛県生まれ。松山商から近大呉工学部を経て、90年ドラフト3位で近鉄入り。99年オフに中日へトレード移籍。2001年は米独立リーグのエラマイラ、02年はドジャース2Aやメキシカンリーグなどを渡り歩き、03年にオリックスにテスト入団。その後、再渡米し、05年まで米独立リーグでプレーした。明るいキャラクターも有名で、自身の髪が薄いことをネタにした「ピッカリ投法」でも話題になった。
報知新聞社