稲本潤一 今季限りで現役引退 現在の日本代表に「いい方向に向かっている。どんどん強くなっている」
関東リーグ1部・南葛SCのMF稲本潤一(45)が4日、都内で会見を行い、今季限りでの現役引退を発表した。「キャプテン翼」の原作者で南葛SCのオーナー兼代表取締役社長を務める高橋陽一氏も登壇した。 会見に臨んだ稲本は「今シーズンをもって引退することを決めました」と発表。「ここ最近は引退のことを考えていた」といい、「今年に関して言えば、チームの力になれないなと。試合に出てチームを勝たせるパフォーマンスできるかと思ったら厳しい」と決断した背景について語った。 Jリーグで印象に残っている試合として、「17歳で出た湘南戦」を挙げ、「アシストを決めたと思う」と稲本。2002年の日韓ワールドカップ(W杯)についても「あの大会をきっかけに、あの2ゴールはインパクト残せたと思う」と振り返った。小野伸二らと「黄金世代」をけん引。「しがみついてここまで来た。79年組が残してきたものが今につながっていると思う。現役生活が終わっても死ぬまで関係は続くと思う」ときっぱり。 自身が「凄い」と思った選手は、元フランス代表の「ジダン選手」だといい「全くボールが取れなかった。当時はピッチぐちゃぐちゃだった。エレガントなプレーはかなわないなと」と懐かしそうに語った。 また、今の日本代表について聞かれると「いい方向に向かっている。どんどん強くなっている。日常が世界の選手とやっている。日本とは違う日常で毎日を過ごしているところ」との印象を口に。今後については「指導者として1年目になる。どういう指導者になるかという形を作っていければ」と力を込めた。 稲本はG大阪のアカデミー(育成部門)で育ち、17歳6カ月でJリーグデビューを果たした。99年世界ユース選手権(現U―20W杯)で準優勝し、小野伸二や遠藤保仁、小笠原満男らと「黄金世代」と称された日本代表のメンバーの一人。ジーコジャパンでは小野伸二、中村俊輔、中田英寿と「黄金カルテット」を組んだ。 海外でも躍動した。フルハムに所属していた02年のボルトン戦で日本人初のプレミアデビュー。同年9月のトッテナム戦では日本人初のプレミアでのゴールを決めた。 JリーグではG大阪や川崎F、札幌、J3相模原でプレー。J1で225試合19得点、J2で48試合1得点、J3で10試合1得点の実績を残してきた。 22年に南葛SCへ移籍し、23年にはリーグ戦で加入後初得点をマーク。今季から選手兼コーチに就任していた。日本サッカー界のレジェンドがスパイクを脱ぐ。 ◇稲本 潤一(いなもと・じゅんいち)1979年(昭54)9月18日、大阪府出身の45歳。G大阪ユースだった97年にJリーグデビュー。01年にアーセナルへ移籍し海外7クラブを渡り歩いた。10年に川崎FでJリーグに復帰。札幌、J3相模原を経て22年に南葛SCへ加入した。W杯は02年日韓大会で2得点を挙げるなど、3大会連続で出場。日本代表は82試合5得点。妻はモデルの田中美保。1メートル81、77キロ。利き足は右。