月給20万円→2年で年俸1000万円…東南アジアで「給料が倍に」 “夢掴んだ”元Jリーガーの今【インタビュー】
神戸などでプレーした松村亮、7年プレーの東南アジア“お金事情”を告白
日本代表が訪れ、サッカー熱の高さに注目が集まったインドネシア。この東南アジアの国では多くの日本人選手がプレーしており、かつてヴィッセル神戸などで活躍したMF松村亮もその1人だ。ペルシジャ・ジャカルタに加入して2年目。タイでも4年間プレーした経験を持つ松村に、東南アジアサッカーの移籍事情を聞いた。(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・小杉舞/全3回の2回目) 【写真】美人妻と寄り添い…「素敵すぎてドキドキ」 人気モデルとの2ショット ◇ ◇ ◇ 「まずは僕がどうしてインドネシアに来たか、なんですよね」 インドネシアの首都ジャカルタ南部にあるカフェに姿を見せた松村はこう語り出した。タイでの3年間、4クラブでプレーしていた松村は2022年にインドネシア1部のペルシス・ソロへの期限付き移籍を決意した。タイではラヨーンFCから始まり、チェンマイFC、BGパトゥム・ユナイテッド、ポリス・テロでプレー。だが、その当時、松村の中で“ある疑念”が大きくなっていた。 「タイではオーナーが権力を持っていて、上で試合を見ながら選手交代を促すということもチームではありました。当時、外国人枠が4人で、僕とブラジル人だったんですけど、僕以外みんな怪我していたんです。チームにはタイ代表の選手が固まっていたから、もう『代表(メンバー)で行け』という方針になった。結構振り回されるような形で『面白くないな……』と思っていた時に、インドネシアのソロから『もっと給料を出せる』というオファーが来たんです」 ソロはインドネシアでも地方のクラブだったが、タイで名門とされるパトゥムなどよりも待遇は良かった。松村自身「なんでこんな田舎のチームで給料上がるんや? もっと上のチームになるとすごい金額もらえるんちゃうかと思った」と“インドネシアマネー”に驚きを隠せなかった。 ただ、地方クラブでの環境は過酷だったため、ステップアップを目指した。移籍1年目で28試合に出場して、11ゴール6アシストを記録。「絶対に1年で上のチームにいくぞ」との決意は結果になって表れた。 すると、ある日、松村の携帯電話が鳴った。相手はドイツ1部ボルシア・ドルトムントやハンブルガーSVなどを率いた経験もあるドイツ人のトーマス・ドル監督だった。この時、プルシジャ・ジャカルタを率いており、直接、松村へオファーを出すために電話をかけてきたのだった。 「対戦した時にプレーを見てくれて『欲しい』と電話が来ました。ここから抜け出せる、という安心がありました」 提示されたのは3年契約での完全移籍。2019年に東南アジアに渡ってから、初めて勝ち取った複数年契約だった。当時、保有権はまだタイのパトゥムが持っていた。契約解除金を支払ってまで獲得したのは東南アジアでは“超異例”。住まいは高級住宅街の一角にある温水プールやテニスコートまで付いたマンションで、運転手付きの車もあるなど生活レベルは各段と上がった。