親権をもてなかった母親への冷たい視線――子どもと別居する苦しさと葛藤
狭い田舎町はうわさがすぐに広まる。なぜ子どもと離れて住んでいるのか、弁解の機会もないまま、早希さんは「訳ありな母親」と見られた。仕事相手の男性と喫茶店で打ち合わせをしている姿を目撃され、不貞を疑われたりもした。 保育所のママ友のほとんどは、早希さんから離れていった。詳しい事情がわからず、どう接していいのかわからなかったのかもしれない。 「いちばん傷ついたのは、『私だったら耐えられない』『私だったら死んでしまう』という言葉でした。耐えられなくても耐えるしかないし、そう簡単に人間って死ねないですよ」
「幸せなお母さん」になるしかない
早希さんは町から引っ越すことも考えた。しかし、娘のそばを離れるわけにはいかず、堂々と生きていくことを選択した。 「『相手が悪い』『社会が悪い』と泣いて、かわいそうなお母さんでいればいるほど、世間から『本当に?』『実はあなたも悪いんじゃないの?』とツッコミが入る。何をしていても、どうせ言われてしまうなら、誰から見ても幸せなお母さんになるしかないと思ったんです」
離れて暮らしていても子どもといい関係が築けるよう、子育てやコミュニケーション術を学んだ。やりがいのある仕事につけるよう、自己研鑽にも励んだ。 別居母親同士が集まる自助会にも参加し、面会交流支援にもかかわった。いまは母親の自立と親子のコミュニケーションを手助けする活動をしている。 「別居母親という超絶マイノリティーだけど、子どもも仕事も自分の時間も全部ある。こんな幸せな生き方はないって実感しています」 早希さんは3年ほど前、元夫と週交代での共同養育が実現した。パパともママとも仲良くしたいという娘の希望が叶えられた形だ。早希さんもこのスタイルに納得している。
多様化する子育て
家族のかたちは一つではない。母親のありようはさまざまだ。かつて、子どもを保育所に預けて仕事をする母親を「育児放棄」と蔑む時代もあった。前出の大日向学長はこう語る。 「彼女たちが語ってくれた物語には胸が痛みましたが、こうして声を上げてくださったことで社会に一石を投じることができたのではないかと思うんです。『育児がつらい』という母親の声から子育て支援が生まれたように、当事者が声をあげ、その苦しみが明るみに出ることから、社会は確実に変わっていくでしょう」 多様な子育てのあり方を認め合うことが、別居母親を差別から救う。偏見の目で見られがちな子どもも救う。不意にどんなことが起こっても、誰もが生きやすい社会が求められている。
--- 上條まゆみ(かみじょう・まゆみ) 1966年、東京都生まれ。教育・保育・女性のライフスタイルなど、幅広いテーマでインタビューやルポを手がける。近年は、離婚や再婚、ステップファミリーなど「家族」の問題を追求している。