出撃前夜、5歳の私をひざに乗せ「若鷲の歌」を歌った特攻隊員さんたちは、翌日わが家の上空を3度旋回して南の空へ。楽しく見えた胸中を、今思うと胸が張り裂けそうになる【証言 語り継ぐ戦争】
プリマドンナとして舞台に立つだけではなく、脚本や演出も手がけた。その中には「平家物語」をはじめ、ベトナム戦争を描いた「メコン川」、戦場で死んだロシアの兵士が鶴になって帰って来る「鶴」、椋鳩十さんの「マヤの一生」など、戦争の悲惨さや命の大切を訴えたものも多い。 根底にあるのは5歳のときの、特攻隊員さんとの触れ合いだ。当時はただ楽しく、立派な人たちだと思っていた。今、彼らの気持ちを思うと、胸が張り裂けそうになる。 戦争は二度としてはならない。それには、次世代の子どもたちへの教育が大切だ。11月には白鳥バレエ創立75周年記念公演を控えている。バレエ団は娘・五十鈴に引き継いだが、今後も体の動く限り、平和を願いながらバレエと向き合っていきたい。 (2024年9月30日付紙面掲載)
南日本新聞 | 鹿児島
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