奈良の鹿は「神の使い」…なのに虐待? 保護団体、収容しすぎで過密、栄養不足 背景に深刻な農業被害
代わりに愛護会が進めたのが、生け捕りと特別柵への収容だ。ただ、収容頭数に上限がないため、鹿が増えれば柵内は当然、過密となり、劣悪な飼育環境につながった。2017年には管理地区での殺処分もついに始まったが、緩衝地区では生け捕りするほかないという状況は変わらない。 ▽江戸時代、山では鹿狩りがあった 問題の根底には、「天然記念物の指定の仕方」があるようだ。 奈良の鹿を長年、研究する奈良教育大(奈良市)の渡辺伸一教授(社会学)によると、そもそも山間部の鹿は、歴史的には「神鹿」とはされていなかった。江戸時代には、春日大社や現在の奈良公園にあたる場所およびその周辺などで保護される一方、山間部では鹿狩り(狩猟)が行われていたという。 その歴史から、1957年に国が「奈良のシカ」を天然記念物に指定する際、地元はその対象を春日大社や奈良公園周辺の鹿に地域を限定するよう求めた。しかし、文化庁は地域を定めずに指定。事実上、当時の奈良市一円が生息地とされ、結果的に山間部の鹿の扱いがあいまいになった。
渡辺教授は現状について、「本来は鹿が収容される機会を減らすべきだ」と主張する。保護地区と管理地区の間の緩衝地区では、防鹿柵の設置にお金をかけ一層充実させることで、生け捕り数を減らしていくことを提案。さらに、遺伝子型にも言及した。 「山間部などで鹿狩りをし、代わりに春日大社の周りでは神鹿として保護してきたため、陸の孤島のように、外部のシカ集団と千年以上にわたり交流がなく、その遺伝子型は独特だ。『生きている文化財』とも表現されるが、こうした神鹿の独自性は、外部での継続的な鹿狩りが作り出した歴史的な産物であるという点を強調したい」 ▽動き出した自治体、新基準につながるか 奈良市や奈良県も「特別柵」の在り方の検討を始めた。 県の山下真知事は11月6日の記者会見で、生け捕りの対象である緩衝地区の範囲を変更するかどうかが、今後の論点だと示唆。「農家の被害防止、あるいは被害が起きたときの補償とセットにして生け捕りの在り方を検討していくことになるだろう」
奈良の鹿愛護会の山崎伸幸事務局長は「混乱を引き起こしてしまい、深くお詫び申し上げたい」と謝罪した上で、収容される鹿を減らす仕組み作りを求め、こう意気込んだ。「奈良の鹿にとって一番いい方策を考えるため、新しい部分を取り入れていきたい」