創業半世紀サンミュージック社長語る 次の時代の芸能プロダクションとは
サンミュージックプロダクションが1968年の創業以来、半世紀を超えた。所属タレント第1号・森田健作(現千葉県知事)に始まり、70年代から80年代にかけては桜田淳子、松田聖子らアイドル歌手のブームをつくり、平成に入ると安達祐実、酒井法子らが続々とドラマ出演。その後はお笑いに進出、現在ではベッキー、カンニング竹山、ダンディ坂野、メイプル超合金などバラエティータレントも多数在籍する。 「エンターテインメントビジネスは、3つあると思います。役者さんの世界と、歌の世界。そしてお笑いというかアメリカでいうところのコメディアンの世界。この3つをベースに芸能界は動いているんです」 そう語るのは社長の相澤正久氏だ。昭和に始まり平成を丸ごと生き抜き、次の時代の芸能界を見据える相澤氏に話を聞いた。
所属第1号・森田健作の明るさにちなんだ社名
「物心ついたとき、親父(相澤秀禎氏=創業者で初代社長、のちに会長。2017年死去)は横須賀でバンドマンをやっていました。やがて駐留軍も引き上げ始めると、昭和30年代には東京の日劇でウエスタンカーニバルが始まり親父も出演しました。テレビもNHKに続き日本テレビが始まって、親父は拠点を東京に移したんです。そのあと、ロカビリーが流行って」 懐かしそうに目を細める。プレイヤーとしての限界を感じた秀禎氏は、ロカビリー歌手・山下敬二郎のマネージメントを手がけるようになり、その後、西郷輝彦との運命的な出会いを迎える。 「名古屋に良い子がいると聞きつけた親父は、現地まで行って西郷さんをスカウトしました。橋幸夫さん、舟木一夫さんと並び御三家と言われるスターに成長するにつれ、親父も芸能界に顔が広がっていったんです」 折しも東京オリンピック、高度成長の時代。芸能界も波に乗った。 そんなとき秀禎氏は森田健作(現千葉県知事)に出会う。「日劇ダンシングチームのダンサーの弟に、かっこいい男の子がいる。彼が楽屋に姉を訪ねると、ダンサーたちがみんな立ち上がってしまうぐらい美男子なんだ」との噂を、福田時雄氏(現名誉顧問)が聞きつけた。それが森田で、大学受験のため浪人中の身だった。当初は親も芸能界入りに反対していたが、口説き落としたという。そして黛ジュンの主演映画「夕月」で相手役を務めることが決まった1968年、クランクインの11月27日に合わせ、森田を所属タレント第1号として事務所を創業。社名は森田の明るい性格にちなみ、サンミュージックプロダクションに決まった。秀禎氏は、その後も野村将希をはじめ上京したばかりで住む家のないタレントを自宅に住まわせ、夫婦で寝食の面倒をみた。家庭的といわれるサンミュージックの原点だ。