橋幸夫「わずか1年での引退撤回。80歳を超えたって、学ぶことも、自分を変えることもできる。脱水からの脳梗塞も乗り越え、僕はまだまだ歌います」
「いつでも夢を」「恋のメキシカン・ロック」……昭和の歌謡史に残る数々のヒット曲を世に送り出してきた橋幸夫さん。デビューから63年の2023年に歌手活動から引退しました。ところがその1年後、引退を撤回。その間には、大学生活や脳梗塞も経験し……。80代の橋さんの今を取材しました(構成=中嶌直子 撮影=木村直軌) 【写真】コンサートでは、「yH2」の3人と共に歌う場面も * * * * * * * ◆脳梗塞で入院生活も経験し 続けていた書画を学び直したいと入学した大学は、現在3年生。順調に単位を取っています。 通信制なのでキャンパスに通うことは滅多にありませんが、先日は授業の一環として、20人ほどで小田原の江之浦測候所に行きました。ギャラリーなどを見学してレポートを提出すれば、2単位もらえる。こんな体験も新鮮です。あと1年での卒業を目指しています。 また、僕は2017年に現在の妻と再婚し、18年には静岡県熱海市に住まいを移しました。ここに暮らすようになってから、地元の方との交流が増えたのも、僕にとっては新鮮で。 熱海署の「特別安全対策監」として、地域の防犯活動にも協力しているんです。地域には高齢の方が多く、誰かが行方不明になったという放送が入ると、警察署に電話してその後の安否を確認したりして。 長年、警察官や機動隊を応援する歌をたくさん歌ってきたので、地元の警察の役に立てるのはとても嬉しいですね。熱海署に行くと、警察官の方が僕に敬礼してくれるんだよ。
今、一番気になるのは、やっぱり体調管理かな。健康維持のために、短い時間でもウォーキングや水泳をしたりと、運動を心がけています。 ところが、昨年11月、プールで泳いだ後に軽い脳梗塞を起こしまして。その日は20分くらい泳いでから、サウナや風呂に入りました。ところが更衣室で服を着ようとしたところ、どうしても服のボタンを留められない。ズボンのファスナーも上げられない。 僕がなかなか出てこないので、妻が心配して電話をかけてきた。すぐに更衣室に来てもらって、いったん帰宅しました。 その後、両手を開いたり閉じたりすることはできるけれど、片方の腕がだらんとしていることに妻が気付いてくれて。看護師をやってましたから、体のことには詳しいんです。 すぐに病院へ行き、MRI検査を受けたところ脳梗塞が見つかり、即入院となりました。点滴で様子を見ながら、5日間の入院生活。呂律が回らないということもなく、自覚症状のほとんどない脳梗塞だったのですが、多少の記憶力の低下がありました。完全に調子が戻るまでには3、4ヵ月かかったかな。 何が原因だったかというと、医師いわく、脱水だったようです。僕は長年の習慣で、普段からあまり水を飲まなかった。水分をとらないのが一番いけないと言われました。 今は常に水を手元に置くようにしています。読者の皆さん、ぜひ意識して水分をとりましょうね。(笑)
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