欧州移籍は「怖いと思うのが普通」 ベンチ生活、降格…それでも「必ず海外挑戦してほしい」【インタビュー】
大津氏が過ごした海外での3年間「価値観を変えてくれた」
元日本代表MF大津祐樹は21歳で欧州に渡った。ドイツの名門ボルシアMGの扉を叩いた1年後、当時オランダ1部のVVVフェンロへと移籍。ベンチ生活、降格……3年間に及ぶ海外挑戦は、決して順風満帆な道のりではなかった。それでも「これからキャリアを描いていく選手たちには、海外からオファーが届いたタイミングで、必ず挑戦してほしい」と言葉に熱を込め、欧州で培った自身の経験談を語る。(取材・文=城福達也) 【動画】17歳高校生が「ベルカンプみたい」 相手の3人包囲網を打開した圧巻ゴールの瞬間 ◇ ◇ ◇ 大津が欧州へと渡った2011年当時は、若手選手の海外挑戦が定着しているわけではなかった。A代表は欧州でプレーする選手が着実に増えてきている段階ではあったものの、五輪代表ではまだまだ国内組が大半を占めていた。ドイツで快進撃を見せていたボルシアMGではベンチから試合を見守る生活が続いていたものの、元ドイツ代表MFマルコ・ロイスらトップタレントと鎬を削る激しいトレーニングの日々が、ロンドン五輪での大活躍へとつながった。 「1年間ブンデスリーガでやって、強度の面でも自分のレベルアップに手応えを感じていたタイミングだった。その手応えを、ロンドン五輪の舞台でパフォーマンスとして証明できた。大会が終わった後、この経験を出場機会に活かしたいという思いが芽生えた。たとえリーグのレベルが落ちたとしても、ピッチに立ちたい思いからフェンロに移籍した」 2012年8月、かつてMF本田圭佑、DF吉田麻也を筆頭に歴戦の日本人選手がプレーしてきたフェンロを新天地に選んだ。ボルシアMG時代とは異なり、主力として毎試合のように出場できる充足感はあった一方、チーム自体には残留を勝ち取る力が備わっていなかった。加入初年度にしてリーグ戦22試合に出場したものの、フェンロは降格の憂き目に遭った。 「正直、当時のフェンロはリーグの中でも明らかに厳しいレベルだった。自分個人のパフォーマンスと、クラブが置かれている状況に葛藤があった。どう勝たせればいいのか悩んだし、実際に勝たせ切れなかったことに責任も感じた」 移籍の選択肢もあったが、留まる決断をした。翌シーズンには背番号「10」を託され、クラブを牽引する存在として期待を寄せられた。しかし、シーズン途中に右足のアキレス腱を断裂する重傷を負い、長期離脱を強いられることに。さらに、クラブが深刻な財政難に陥る状況となり、移籍を余儀なくされた。 古巣の柏レイソルに帰還することになったが、「再スタートを切るという意味では、日本に戻ることに後ろ向きではなかった」と振り返る。海外挑戦に臨んだ3年間は試練の日々だったが、それでも大津氏は「これからキャリアを描いていく選手たちには、海外からオファーが届いたタイミングで、必ず挑戦してほしい」と言葉に力を込める。