議論の静謐さを言うとき 福沢「帝室論」は適切か 成城大教授・森暢平
さらに言えば、『帝室論』に対して、天皇を無化する議論だという批判もあった。そのため、福沢自身、『尊王論』という「続編」を書いた(1888年)。皇室をめぐる論争も公に行っていたわけである。 『帝室論』で福沢が諌めたのは、政党が天皇を利用して自らの主張の根拠とすること、および、皇室が特定の政党の側に身を置くことである。皇室をめぐる課題を、政争の対象とするなとも、国論を二分するなとも、静謐に議論しろとも言っていない。ただ、政争の際に天皇の利用は良くないと言っているだけである。報告書は、福沢の言葉を曲解している。 ◇有識者会議の罪 騒々しい議論を 戦後皇室に関する歴史学研究は、象徴となり、戦前よりもさらに明確に政治の外に置かれたとされる皇室には、依然として「政治」に留(とど)まる部分もあることを明らかにした。典型的には皇室外交がある。天皇が外交の場で何を述べるかは政治そのものとなる。皇室が完全に「政治社外」にあることは不可能であろう。明治であれ、現在であれ、同じことだ。 福沢は、そうした実態とは別に、「帝室は政治社外」であったほうがより良いという規範を強調し、各政党の自重を求めた。しかし、帝室を政治的論争の対象としてはならないとは考えていなかった。有識者会議はそのことを知っていたのか、知らなかったのか。いずれにしても、福沢の一言だけを引用して、静謐な環境での検討などとクギを刺し、額賀を誤らせたのは罪作りである。「国民の総意」形成の議論は、衆人環視の騒々しさのなかでこそ行うべきである。 <サンデー毎日6月16・23日合併号(6月4日発売)より。以下次号> ※赤野孝次「自由民権期の「尊王」論と福沢諭吉『帝室論』」『歴史評論』734号(2011年6月)を参照した ■もり・ようへい 成城大文芸学部教授。1964年生まれ。博士。毎日新聞で皇室などを担当。CNN日本語サイト編集長、琉球新報米国駐在を経て、2017年から現職。著書に『天皇家の財布』(新潮新書)、『天皇家の恋愛』(中公新書)など
6月4日発売の「サンデー毎日6月16・23日合併号」には、他にも「寺島実郎『日本再生構想』の衝撃 在日米軍基地の段階的縮小を! 倉重篤郎」「東京都知事選 小池百合子 蓮舫が描く完全シナリオ 政策論争はどこへ、人気取り合戦の歴史 鈴木哲夫」「べストセラー『定年後』著者・楠木新 60~74歳は『黄金の15年』、75歳以降は『四つの寿命』コントロールがカギ」などの記事も掲載しています。