パラスイマーと健常スイマーが同じ表彰台に立つことはできるのか?【松田丈志の手ぶらでは帰さない!~日本スポーツ<健康経営>論~ 第11回】
鈴木選手が伝えたかったメッセージは「共生社会の実現」です。健常スイマーとパラスイマーが一緒に泳ぎ、互いの存在を認め合いながら競い合うことで他者への理解を深め、共生社会の実現につながる大会を目指したのです。鈴木選手自身も50m平泳ぎに出場し、優勝を果たしました。その際、3位に入った健常スイマーと共に表彰台に立ったことを「本当にうれしかった」と語っていました。 パラ競泳の課題のひとつに、競い合うライバル選手の少なさがあります。パラ競泳では障害の程度によってクラスが細かく分かれていますが、それにより1種目の出場者数が極端に少なくなることがあります(場合によっては、選手がひとりで泳ぐこともあります)。長年この課題に向き合ってきた鈴木選手は、「もっと多くの選手と競い合いたい」という思いを抱いていました。 かつて日本では健常者向けのスポーツは文部科学省、パラスポーツは厚生労働省が管轄しており、同じ「スポーツ」でありながら所管省庁が分かれていました。2011年にスポーツ基本法が施行されると一元化される方向へ進み、2014年にはパラスポーツの管轄も文部科学省へ、2015年にはスポーツ庁が文部科学省の外局として設置されました。一方、日本オリンピック委員会(JOC)と日本パラリンピック委員会(JPC)は現在も別組織として運営されています。 海外に目を向けると、アメリカ、イギリス、カナダなどではオリンピックとパラリンピックを包括的に支援するため、支援組織を統一しています。この統一化により、資金調達の効率化や政策決定の迅速化、運営コストの削減が実現しています。日本においても、こうした海外の事例を参考にしながら、より包括的な支援体制の強化を目指すことが求められるでしょう。 鈴木孝幸杯は、鈴木選手自身が運営や事務作業にも積極的に関わりながら実現した大会です。そして、参加者や観客からの評価も高く、従来のパラ大会に比べて「車椅子の動線が確保されていない」など、運営側に寄せられるバリアフリー対策への苦情も少なかったといいます。この大会が示した「共に挑戦するのが当たり前」という価値観が広がれば、スポーツだけでなく社会全体における「共生」の意識が自然と育まれるでしょう。 また、競泳界だけでなく日本社会全体にとっても大切な示唆を与えてくれました。大会は来年以降も続いていきます。この取り組みがこれからの日本のスポーツ文化、そして共生社会の実現に大きな影響を与えることを願っています。 文/松田丈志 写真提供/株式会社Cloud9 PARAPHOTO/秋冨哲生 協力/株式会社ゴールドウイン