プロ野球引退後に“ソニー生命のライフプランナー”になった鵜久森淳志さんを直撃! プロ野球界のシビアなお金事情と、32歳で異業種に転身した背景を聞いた!
プロ野球選手を引退後、生命保険業界に飛び込んだ鵜久森淳志さんにインタビュー! 一見華やかだが、常に職を失うリスクと隣り合わせなプロ野球の世界。短期間で大金が手に入り、金銭感覚が狂ってしまう選手もいるなか、鵜久森さんは派手なお金の使い方はしてこなかったという。そんな鵜久森さんは「戦力外」通告を機に、まったく異なる業界へ。今回は、当時と今のおカネに対する向き合い方を聞いた。 鵜久森淳志さんは高校3年間に通算47本塁打を打った強打者でプロ野球へ! ●新設の野球部で全国制覇し、日ハムから8位指名を獲得! 最初に契約金3500万円と年俸480万円を受け取った! ──甲子園で大活躍し、18歳でプロ野球選手になったそうですね。 鵜久森 愛媛県の済美高校が野球部を創設したときの1期生でした。2004年春のセンバツで初出場・初優勝を果たし、夏の甲子園でも準優勝。僕は4番打者で、高校3年間に通算47本塁打を打っています。 ジャパン(高校生日本代表)にも選ばれ、同学年のダルビッシュ有や涌井秀章と一緒にプレーしました。 我ながら大活躍だと思ったのですが、ドラフトでは日本ハムに8位指名。正直、冷や冷やでしたね。ちなみに、その年の日ハムの1位は、ジャパンですっかり仲良くなったダルビッシュでした。 ──最初の年俸は? 鵜久森 契約金が3500万円、年俸は480万円です。昨日まで高校生だったのに、いきなり大金をもらったので、とても驚きました。もっとも、そんな大金を子どもに自由にさせるわけにはいかないので、契約金は親がしっかり管理しました。 仮に2、3年で辞めることになったら、大学に進学させるための資金にしようと、手を付けずに取っておいてくれたんです。プロ野球選手は、入団から2、3年で戦力外通告を受けることも珍しくありません。厳しい世界に飛び込んだことは、親もよくわかっていたんでしょうね。 ──そもそも、プロ野球選手になろうと思ったのはいつごろですか? 鵜久森 野球に興味を持ったのは、小学4年生でソフトボールを始めたとき。本気でプロになりたいと思ったのは、高校に入ってからです。甲子園に出て、優勝もできましたが、それだけで将来の道が約束されるわけじゃありません。 自分個人としての力をスカウトに注目してもらわなければ、プロにはなれない。そう思って高校1年のときから、「ホームランバッターになること」を目標に掲げ、ひたすらそのための練習に専念しました。 ──それで47本もホームランを打てたんですね。高校1年の時点で、打率は捨て、本塁打にかけたと。 鵜久森 実は日ハムの後輩なのですが、大谷翔平選手のマンダラチャート(目標達成シート)は有名ですよね。あれと同じように目標を絞り込み、そこから逆算して「いまやるべきこと」をコツコツやってきました。その成果が表れたのだと思います。 ──結果、狙いどおりスカウトの目に留まり、ドラフト最下位ながらもプロ入りを果たしたわけですね。でも、プロの世界は甘くなかった……。 鵜久森 日ハムには足掛け11年間在籍しましたが、その間、一軍と二軍を行ったり来たり。成果を出せないまま、11年目の10月1日に「戦力外通告」です。「トライアウトを受けるか? 」と聞かれたので、「ぜひやらせてください」と頼みました。100人に2、3人しか合格できない狭き門だったのですけどね。 ●トライアウト会場には警察官や民間会社など野球以外の関係者も! 1回目のトライアウトは合格し、ヤクルトへの移籍が決定! ──その狭き門を潜り抜けて、ヤクルトへの移籍が決まったわけですね。合格したときは、どんな気持ちでしたか? 鵜久森 正直ホッとしました。日ハムでは結果を残せなかったけど、自分では「まだまだやれるし、やりたい」と思っていましたから。 でも、トライアウトを受けたことで、プロ野球選手以外の人生も考えるようになったのは事実です。何しろトライアウトでは100人に2、3人しか合格できない。もし不合格だったら、否でも応でも別の人生を歩まなければならなかったわけですからね。 もちろん、プロ野球選手でなくなれば、収入が途絶えてしまうという恐怖もありました。僕は23歳で結婚しているので、妻や小さな子どもをどうやって食べさせていくのかと。 ──現在、鵜久森さんはソニー生命の柏支社でライフプランナー(保険営業職)として活躍されていますが、そんな野球とはかけ離れた未来も、何となく想像したのでしょうか? 鵜久森 そうかもしれません。実はこのトライアウトのときに、当時ソニー生命の柏支社長だった方に、会場で声を掛けられたんです。「どこの球団の監督だろう? 」と思ったら、保険会社の名刺を渡されたので「えっ? 」と思って(笑)。 ──そうなんですか? 鵜久森 実は、トライアウトの会場には警察官や民間会社など、野球とはまったく関係ない“スカウト”の方々もやって来るんです。プロ野球選手は体力もあるし、「課題を克服して結果を出す」という訓練を積んでいるので、“即戦力”としての魅力を感じるようですね。 このときはトライアウトに合格したので、どのお誘いにも乗りませんでしたけど「人生って、野球だけじゃないんだ」と悟るきっかけにはなりましたね。何しろ、小学4年生からプロでの11年間までずっと野球漬けだったので、大きなカルチャーショックでした。 ──その後、ヤクルトに3年間在籍し、2度目の戦力外通告、そして再度トライアウトを受けるわけですね。 鵜久森 32歳のときです。不合格だったので、潔く第2の人生を歩むことを決め、ソニー生命に入社しました。 ●「野球を始めて8年でプロになれたのだから、同じ年数をかければ どんな職業であろうとプロになれる」と考えた! ──球団職員として残るとか、独立リーグや社会人野球に移る選択肢もあったのではないかと思うのですが。 鵜久森 「もう野球は十分にやり切った」という思いが強かったですね。もちろん、職員として残る道もありますが、球団スタッフであっても、ずっとその仕事を続けられるとは限りません。 野球という世界だけで歩んでいって、この先40代、50代になって職を失ったら、再就職は難しいかもしれません。だったら30代の今のうちに、ほかの道を選んだほうがいいのでは、と考えたんです。 ──そうだったんですね。 鵜久森 野球を始めて8年でプロになれたのだから、同じ年数をかければ、どんな職業であろうとプロになれるという自信がありました。32歳から始めるのなら、40歳になったころには、ライフプランナーとしてバリバリ活躍しているはずだと。 ──いろいろな選択肢があるなか、ライフプランナーを選んだ理由は? 鵜久森 プロ野球選手として14年間働くことができたのは、応援してくださったファンの方々がいたから。その恩返しとして、今度は僕が皆さんの人生を応援したいと思ったんです。 安心で豊かな人生設計をお手伝いできるというのはもちろんですし、僕には子どものころから野球をやってきたバックグラウンドがあるので、その経験をもとに、お子さんの教育のヒントになるアドバイスもできるはず。そう考えると、案外向いているんじゃないかと思いましたね。 ──鵜久森さんと同じように、保険営業で活躍している元プロ野球選手の方っていらっしゃるんですか? 鵜久森 結構いると思いますよ。所属しているソニー生命の柏支社には、僕以外にも元プロ野球選手がいますからね。 先ほども言ったようにプロ野球選手は「課題を克服して結果を出す」訓練を積んでいるので、努力次第で営業成績を伸ばせるようになる可能性があるはず。野球に通じるところがあるのかもしれませんね。 ──なるほど。ところで、プロ野球選手からライフプランナーになって、おカネの使い方は変わりましたか? 鵜久森 野球をしていたときも、派手なおカネの使い方はしていませんでした(笑)。変わったのは、おカネを「人に会うためのツール」として使うようになったことかな。営業に限らず、いろんな人に会って視野を広げるのは自分を成長させるのに大切なこと。そのための移動費や交際費は惜しまなくなりました。 いまとなっては、プロ野球選手のうちに、もっと人に会うべきだったと後悔しています。普通の人には会えないような人に会えるチャンスに恵まれていたわけですからね。でも、これからどんどん新しい人脈を築いていきますよ。
ザイ編集部
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