【狂気の決断】ウクライナ侵攻最大の要因 プーチンが考える「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性」とは
プーチン氏はさらに、ウクライナをめぐる一方的な見解を続ける。ロシアがクリミアを併合し、ウクライナとの対立が激化した2014年以降も、「ウクライナ人はロシアに仕事を探しに来ており、彼らは歓迎され、支援を受けた。それが〝侵略国〟だというのだ」「本質的に、ウクライナの指導者は自国の独立を、過去を否定することによって、正当化している」「1930年代に起きた飢饉は、ウクライナ人に対するジェノサイド(集団殺害)だと位置付けられた」などとした。 欧米とウクライナの関係をめぐっては、2014年よりはるか以前から、ウクライナが欧米の意向によって「ロシアとの経済協力を制限する方向に押しやられていった」とし、そのような状況を「ウクライナは、危険な地政学的ゲームに引き込まれていった」と表現している。そのような、「反ロシアプロジェクト」においては、「主権国家としてのウクライナが存在する余地はない」などとし、「本当のウクライナの主権は、ロシアとのパートナーシップを通じてのみ、実現し得る」と主張してみせた。 自国とのパートナーシップによってのみ、主権が達成し得るという言葉には、ウクライナを主権国家として強く否定するプーチン氏の思考があからさまに現れている。 プーチン氏はそして、この論文を発表したわずか7カ月後には、ウクライナへの全面侵攻に踏み切った。膨大な数の民間人が殺害され、故郷を追われ、生活の糧を失った。 論文でプーチン氏は、ウクライナをめぐる歴史的経緯を批判しつつ、ウクライナ人に対する賛美ともいえる言葉を連ねていた。しかし、その結果が全面侵攻である。短期間で決着をつけられるとにらんだプーチン氏の思惑とは逆に、戦争はすでに、泥沼に陥っているともいえる。このようなプーチン氏の決断は、狂気と呼ばざるを得ないのではないだろうか。
狂気の果てに
ウクライナ侵攻が始まり、プーチン氏をめぐっては重病説が報じられたり、私兵集団「ワグネル」が反乱を起こしたりするなど、その足元が揺らいだかのように見える局面が幾度かあった。 しかし、プーチン氏は現在も外遊をこなすなど健康体とみられ、ワグネルの反乱も最終的には収束させ、国内の動揺を抑え込んだもようだ。2024年3月に実施された次期大統領選でも、同氏の優位を揺るがすほどの強力な対立候補が現れることもなく、難なく再選となった。 ただ、そのようなプーチン氏のもとで生活を続けるロシア人の多くは、政治に無関心であるか、またはプロパガンダを正しいと信じて生き続けるか、本心を隠して生きるしかない。 結局プーチン氏の政策は、自国民に限られた自由と一定の生活の保障を提供する以上のものではなく、さらに隣国に対し著しい混乱と生活破壊を招きかねない。 そのようなプーチン氏の、大国のリーダーとしての資質には、強い疑問を投げかけざるを得ない。 了 連載をはじめから読む
黒川信雄