【狂気の決断】ウクライナ侵攻最大の要因 プーチンが考える「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性」とは
プーチン氏は論文を、スラブ民族をめぐる古代の歴史から説き起こしている。その冒頭では「ロシア人、ウクライナ人、ベラルーシ人は、すべて古代ルーシの子孫である」と主張した。そして、それらの民族は共通の言語(ロシア語)、経済、さらに正教の信仰で結び付いていると述べ、彼らにとり、ウクライナの首都であるキエフ(キーウ)という場所がいかに重要であるかを強調している。 そしてプーチン氏はそこから、「言語」という要素に着目する。「ロシア西部において統一国家が生まれた背景には、政治的、外交的決定があったからだけではない。そこには、共通の宗教があり、文化、伝統があり、そして、最も強調したいのは、言語の類似性があったということだ」と述べ、その言語は次第に「方言」や「現地語」に発展し、それが各地の文学、文化的発展を生んだとし、「それらをロシア、ウクライナの遺産だと区分けをする必要があるだろうか?」と問いかけた。 ウクライナ語などの言語は「地方で発展した言語」であるために、それらの言語で生まれた文化的遺産を、「別の国のものだと主張する意味があるのか」と問いかけている格好だ。暗に、「われわれは同じ言語を使っている仲間同士であり、ロシアとウクライナは、同一なのだ」と訴えようとする、プーチン氏の考えがにじみ出ている。 しかし、言語の共通性があれば、その国家の存在を否定してよいなどという考えは妄想に近い。例えば英語が使用されている、または、過去にイギリスの植民地だった経緯を持つ国々は、すべてイギリスと一体の国だとみなされ、侵攻してもよいわけはない。プーチン氏は、ウクライナの文化的遺産を記した本などは「引き続き発刊されるべきだ」とも述べているが、そのような発言をすること自体、ウクライナという国家に対するプーチン氏の強い否定の意思が感じられる。
「主権国家としてのウクライナが存在する余地はない」
そしてプーチン氏は、1917年に起きた二度の革命と、1922年のソ連の誕生について言及している。ここでプーチン氏は、各共和国が平等な立場でソ連に加わるとしたレーニンの方針を強い調子で批判した。ソ連の憲法に、「各共和国が、自由に連邦から離脱できる権利」が認められたからだ。 プーチン氏はその条項に、「最も危険な、時限爆弾が埋め込まれた」と主張した。この条項が盛り込まれたばかりに、ソ連末期には各国の離脱の「パレードが相次いだ」からだ。1991年12月8日にロシア、ウクライナ、ベラルーシの各共和国首脳が調印した「ベロベージの合意」にも言及し、この合意によりこれらの国々もソ連から離脱し、ソ連が崩壊した経緯に言及した。 プーチン氏はかねて、ソ連崩壊を「20世紀最大の地政学的悲劇」と主張してきた。「危険な時限爆弾」との言葉は、そのプーチン氏の主張と一致する。ソ連崩壊を「悲劇」ととらえ、その歴史の修正を目指そうとするプーチン氏の思いがにじむ。 そして現代のウクライナについて言及し、ウクライナはソ連が誕生して以降、ソ連の政策によって拡張を続けてきたと述べ、その領土は本来、「多くの部分は歴史的にロシアだった地域だ」と主張した。ソ連がなぜ、そのようにウクライナに対し「寛大に」土地を供与してきたかについては、「もともと、世界革命を目指し、国境を消滅させることを夢見ていたからだ」と断じた。そして「ひとつの事実は明らかだ。それは、ロシアは明らかに、奪われたのだ」と結論した。奪われた土地──ウクライナの領土──を取り返さねばならない、というのだ。