日米合作 ブロードウェイミュージカル『RENT』オリジナル版演出家 マイケル・グライフ インタビュー到着!
――ジョナサン・ラーソンさんとの会話の中でとりわけ記憶に残っていることは? ジョナサンはポピュラー音楽とミュージカルの音楽とを再び一つにしたいと強く願っている人でした。そして実際、『RENT』で彼はそのことを見事に成し遂げました。早すぎる死によって、その成果を彼自身が見届けることができなかったというのは、とてつもなく悲しく、皮肉なことですが。実際のジョナサンは、物語の中のマークのように、自分がやりたいと願っている仕事を続けられるか悩んでいるところがありました。生計を立てていけるのか、責任ある大人として生きていけるのか、悩んでいた。だから、願っていた成功、そこから生じるものが、彼の生前には与えられなかったというのは本当に皮肉なことです。 ――どんな方だったんですか。 すばらしい人でした。生き生きとしていておもしろく、闘う人でもあった。AIDSに侵された彼の友達、AIDSによって亡くなった彼の友達について、よく話をしました。彼の人間性の豊かさは、彼の遺した音楽の中に聴くことができると思っています。 ――お気に入りのシーンやナンバーはありますか。 「Without You」で、3カップルの物語が一緒になるところがすごく好きですね。一幕では彼らの物語はそれぞれ独立して描かれているので、一つになる流れがとても好きです。それと、「Good Bye Love」は大好きな曲です。音楽が非常に美しく、そこに登場するキャラクターたちの癒やしの感覚を紡ぎ上げることが、演出家としてはチャレンジングで、かつ非常にやりがいのあることでした。 ――『RENT』に最初に参加したころ、作品がここまでの成功を収めると予想していらっしゃいましたか。 いいえ。これは本当に皮肉であり、悲しい話だと思うのですが、ジョナサンは成功を確信していました。ジョナサンは、ミュージカルの歴史に多大な貢献をできるような人物になりたいとの希望を抱いていました。オフ・ブロードウェイのニューヨーク・シアター・ワークショップでこの作品を手がけたとき、僕が挑戦していたのは、若いアーティストである観客たちが、『RENT』の登場人物のうちに自分自身の姿をはっきりと認められるように演出するということでした。若き映画製作者たち、ミュージシャンたち、パフォーマンス・アーティストたちが大勢ニューヨーク・シアター・ワークショップに来ていたので、観客として想定した彼らを劇中ちょっと茶化すようなところもあったりするんです。そのように、そもそもダウンタウンの観客のために作ったところがあったので、幅広い客層に訴えかける作品となったことは、うれしさと同時に驚きがありました。そしてブロードウェイで上演が始まると、さきほども申し上げたように、観客の子供時代や子供たちを思い出させるようなキャラクターが愛情深く造形されていることが人気を呼んだのだと考えています。 ――初演から30年近く経ち、AIDSを取り巻く状況も変わりました。 その通りです。1993年に初めて『RENT』と出会ったころ、AIDSであるということはさながら死刑宣告を受けたようなところがありましたが、カクテル療法が発展し、人々はAIDSと共により長く生きることができるようになり、大きく状況が変わりました。後年、若い世代のキャストと作品に取り組んでいるとき、映画を観たり、本を読んだりして話し合い、『RENT』のころの人々がどんな状況におかれていたか説明することが必要でした。若い世代が、初演のころのキャストたちのように、あの状況を生き抜く必要がなくて、よかったと思っています。