さようなら、Bowさん【長尾循の古今東西モデルカーよもやま話:第2回】
巨星墜つ
Bowさんが亡くなりました。2024年11月17日未明のこと。享年78歳。長年Bowさんの原画を管理してきたMさんからの第一報でした。いつかこの日が来ることは理屈では理解していましたが、かといって『人は誰しも寿命があるからしかたない』などと冷静に受け入れることはできず、連絡を受けた後、ひとりで泣きました。 【写真】Bowさんから頂いたミニカーやプラモデルなど (5枚) 本名は池田和宏さんですが、自動車画家としての名前は『Bow。』。学生時代のあだ名『ボクちゃん』がなまって『ボーちゃん』となり、描いた絵の隅に『by Bow』とサインを入れたのが名前の由来。 ちなみに1980年に企画室ネコから出版されたイラスト作品集『Bowの自動車博物館』の日本語表記は『ボウ』となっていますが、1984年に二玄社から出版されたBowさんのエッセイ集『毎日が単独飛行』の文中表記では『ボー』となっています。カナ表記のブレはさておき、ここでは『Bowさん』の表記で参りたいと存じます。 当初はイラストレーターという肩書きでお仕事をされていましたが、画業の後半には自動車画家と名乗るようになり、その作品も『イラスト』ではなく『自動車画』と呼ぶようになっていきました。
Bowさんとの出会い
1980年代初頭、カー・グラフィック誌の後半のモノクロページ『RAMBLE SEAT』コーナーの扉に、毎月短い手書きの文章と共に描かれていたペン画。おしゃれでかっこよく、クルマに対する温かい想いにあふれたその絵は、当時まだデザイン専門学校の学生だった自分にとって大きなエネルギー源でした。そしてまた、1978年から始まった企画室ネコのムック『心に残る名車の本シリーズ』や、その後創刊されたスクランブル・カー・マガジン誌の表紙を飾るようにもなったBowさんの絵。 ずっとカー・グラフィック読者だった自分がスクランブル・カー・マガジンも併読するようになったのは、やはりBowさんの絵の魅力に惹かれてのことでした。 本格的なモータリゼーションが始まった自分の少年時代。『クルマ好き』といえば世間の認識は生沢徹や式場荘吉に代表される、庶民の感覚とは次元が違うクルマエリートな世界か、粗野でおっかない暴走族的な世界か、というものだったように思います。しかし、あたかも映画のワンシーンの様なBowさんの絵を見ていると『クルマエリートじゃなくても、喧嘩が苦手でも、クルマが好きでいいんだ』と心の安寧が得られたのです。