関空でも神戸でもない…“ナゾの関西第3の空港の駅”「伊丹」には何がある?
阪急側にはない「尼崎みたいな風景」とお城の跡
ただ、阪急伊丹駅にはないものもある。ひとつは、駅から陸橋で直結しているイオンモール。もともとは猪名川沿いの東洋ゴムの工場で、その跡地を再開発して2002年にオープンした施設だ。 このあたり、かつては港湾部の尼崎から続く工業地帯という側面も持っていた。いまでも猪名川沿いにはそうした工場がいくつか残っている。 もうひとつは、JR伊丹駅から線路と並行する道を隔てて西側にある、城跡だ。 城跡といっても、天守閣のような建物があるわけではなく、残っているのは石垣だけだ。それでも、石垣の下には「史跡 有岡城跡」と刻まれた石碑が立っていて、ちょっとした駅前広場も兼ねた史跡公園になっている。JR伊丹駅を降りた伊丹の人々は、この有岡城跡を横切って市街地に向かうことになる。 有岡城は、中世にこの地を治めた伊丹氏によって伊丹城として築かれたのがはじまりだ。のちに伊丹氏は織田信長家臣の荒木村重によって滅ぼされ、伊丹城は村重によって改修、有岡城と名を改めた。 ただ、村重はのちに謀反を起こし、怒った信長の大軍に包囲されて有岡城は落城。その後も信長家臣が入ったこともあったが、ほどなく廃城となって歴史からは姿を消している。 ちなみに、村重謀反の折に説得に訪れたのが黒田官兵衛だ。官兵衛は説得に失敗し、城内に幽閉されてしまう。官兵衛はわずかな明かり取りから藤の花が咲くのを見て生きる勇気を得たというエピソードが残る。それにちなみ、官兵衛の当時の拠点だった姫路城の藤から育てた藤の花が、城跡に植えられている。
約30年遅れてできた「もうひとつの伊丹駅」が町を変えていく
と、そんな時空を超えた旅をして、JR伊丹駅である。ふたつの伊丹駅のうち、先にできたのはJR伊丹駅。1893年に摂津鉄道の駅として開業した。阪急伊丹駅はそれよりだいぶ遅れて1920年の開業だ。ただし、現在のようなベッドタウンとしての伊丹に発展する契機となったのは遅れて登場した阪急伊丹駅の存在であった。 阪急伊丹駅を中心に、旧来からの市街地が拡大するように町が成長してゆく。1958年に大阪国際空港が大阪空港として開港したことも一助として、1960年代以降は急速にベッドタウン化が進んでいった。 1995年には、阪神・淡路大震災で阪急伊丹駅が倒壊、周辺の商業施設なども含めて町全体が大きな被害を受けている。現在の阪急伊丹駅は、1998年に再建されたものだ。 ともあれ、伊丹の町は、古くからの酒造りの町にはじまり、阪急電車の登場によってベッドタウン化がスタート。そこに“空港の町”としての一面が加わって、現在の20万都市が完成したのである。 そういうわけで、「伊丹」といいながらもふたつの伊丹駅を中心とする市街地と、伊丹空港はまったくといっていいほど別の場所にある。ふたつの伊丹駅前からも空港に向かうバスが出ていることは出ている。 とはいえ、伊丹の市街地を歩いていて、ここが空港の町だということを意識させられることはほとんどない。せいぜい、JR伊丹駅からイオンモールに向かう陸橋の上から、イオンのさらに東側に離着陸する飛行機が小さく見えるくらいだ。 ちょうど伊丹空港は南北に滑走路があるから、その西側の伊丹市街地の上空を飛行機が飛ぶことはない。そうした事情も、伊丹の町の“空港感のなさ”につながっているのだろうか。 それにしても、伊丹空港に行こうと思ったら間違えて伊丹駅にやってきて、あれれ飛行機がいないぞ、と途方に暮れた、などという人の話は聞いたことがない。 青梅と青海を間違えるくらいで話題になるのだから、伊丹空港と伊丹駅を間違えたらさぞかしバズりそうなものを。ということは、ひと昔前はともかく、いまどきそんな間違いを犯す人はいない、ということなのでしょうか……。
鼠入 昌史