加藤瑠美子・加藤学園校長、野球部創設へ全力投球 選手、練習場確保へ周囲の協力 /静岡
<センバツ高校野球> 第92回選抜高校野球大会(毎日新聞社、日本高野連主催)に初出場する加藤学園の加藤瑠美子校長(76)は、1996年の野球部創部当初から校長を務める。父がプロ野球選手の「野球一家」に育ち、加藤学園に魅力的なチームを作りたいと創部を提案した野球部の「生みの親」だ。加藤校長は「皆さんの人知れない協力があってのたまものだった」と当時を振り返る。【池田由莉矢】 【動画】センバツ出場校、秋季大会熱闘の軌跡 1月24日の午後3時17分、校長室の電話が鳴り、センバツ出場決定の吉報が知らされた。「ありがたくお受けいたします」。丁寧に受話器を置いた加藤校長の目元には、涙が浮かんでいた。 沼津市生まれの加藤校長の父は、元プロ野球選手の高野百介(ももすけ)さん。長野県松本市の松本商(現松商学園)で28年夏の甲子園に優勝。立教大を経て38年に南海に入団し、4番も務めた。だが、徴兵され太平洋戦争で戦死した。 43年生まれの加藤校長に父の記憶はないが、89歳で亡くなった母・淑子(よしこ)さんが父の活躍を語ってくれた。「耳にたこができるくらい聞かされた」と加藤校長は笑う。六大学野球好きの淑子さんは、自宅で各大学の校歌をよく歌った。自身も全大学の校歌を覚え、母譲りの野球ファンになっていった。 大学卒業後、女子校だった加藤学園に日本史の非常勤講師として着任した。83年に共学化し、90年4月から校長を任されるようになった。業務に慣れてきた93年ごろ、「男子生徒がいるのに野球部がないのは変だ」と野球部創部を打ち出した。 「練習場の土地がない」「お金がない」。当初は反対意見が次いだ。中学校やクラブチームとの交流もないため、部員集めも難航した。加藤校長は「公立にも野球部があるのに、私立にできないことはない」と反対する人たちを説得。選手集めは、当時のPTA会長の紹介で初代監督を引き受けてくれた自動車整備業の鈴木裕和さんらに頼んだ。 有力な中学生は県内外の強豪校を志望し、なかなか勧誘に応じてくれなかった。それでも鈴木さんたちが粘り強く活動し、96年に30人超の1年生が集まり、野球部が始動した。練習場は学校から約6キロ離れた東芝機械愛鷹グラウンドを借りて確保した。 チームは年々力を付け、2001年秋は東海大会で8強まで進出。昨秋は初の同大会4強入り。創部24年で念願の甲子園の切符を手にした。加藤校長は「甲子園では強豪と試合をして学ぶことも多いと思う。今後の野球人生で大いに参考にしてほしい」と選手たちの成長に期待する。