【ニューイヤー駅伝】パリ五輪で快挙のマラソン6位・赤﨑暁と3000m障害8位・三浦龍司、20年ぶりに五輪入賞者2人が出場
■日本人初のトラック個人種目連続入賞を三浦が実現できた理由は? ■ 三浦龍司がパリ五輪で狙っていたのはメダルや上位入賞だった。8位という順位には不満が残ったが、「走っていてサンショー(3000m障害)の魅力が詰まっているレースだと思いましたし、すごく楽しいレースでした」と、赤﨑と同じ“楽しい”という言葉がレース後に聞かれた。 三浦は以前から「サンショーは自分の天職」と言っていた。長距離選手で“天職”という言葉を使う選手は過去、見たことがない。そのくらいこの種目に対する自身の適性と、やり甲斐を感じてきた。 3000m障害は長距離の走力があることが大前提だが、「ハードリング技術」が問われる。国際レースでは特に、長身の外国勢に視界を塞がれる。いきなり障害が目の前に現れるため「距離認識と歩幅調整のセンス」が重要になる。障害を越えた後にバランスを崩さずスムーズに加速する動きも、三浦が他選手に差を付ける部分である。 五輪&世界陸上では駆け引きも激しく、レース中の接触や転倒も起こりやすい。実際、パリ五輪でも優勝候補選手の転倒があった。三浦は「サンショーには瞬時の判断力が必要」だという。決勝進出を逃した唯一の世界大会である22年のオレゴン世界陸上は、一瞬の躊躇でレースの流れに乗り損なった。そういった経験や3000m障害への適性を、フルに活かしたのがパリ五輪だった。 五輪連続入賞を可能としたのは三浦の3000m障害への適性に加えて、東京五輪以降も積極的に海外遠征を行い、世界の流れに身を置くことができたからだという。「22年のオレゴン世界陸上(予選落ち)と23年のブダペスト世界陸上(6位入賞)。さらにはダイヤモンドリーグ(3年間で8大会)など、海外遠征の数が増えたこともそうですし、世界トップレベルの選手たちと接点、繋がりができ、認知してもらえたこともあるかなと思います。それがあったからパリ五輪の予選では、招集待機所でペースの話し合いに加われました。国際大会の場でのパワーバランス的な部分で、自分の位置づけができてきています。ある意味マークされるのですが、パリ五輪で言えばペースを運びやすいようなマークのされ方でした。そういった選手にこの2、3年間で成長できたことが、2大会連続入賞の要因だったかなと思います」